バレンタインデーの由来とは?チョコを渡す意味とは?

2月14日はバレンタインデーです。

バレンタインデー

周囲の目を気にする多くの日本人にとって、このバレンタインデーというのは「チョコをもらえるかもらえないか」という指標で優越感を覚えるか、劣等感に苛まれるかの二択でしかありません。

チョコレート業界やお菓子業界にとっては経済活性化の起爆剤になるでしょうが、あまり精神衛生上よろしくはありませんね。

さて、このバレンタインデーというやつは何が由来になっているのでしょうか?バレンタインデーそのものの意味も知らなければ、なぜチョコレートを渡すのかという理由について知らない人がほとんどでしょう。ただ「バレンタインはチョコレートを渡すものだから」と刷り込まれてきたにすぎないからです。

考えてみれば七夕やクリスマスなどの年中行事の簡単な由来というのは小学校でも少し習っているはずですが、どういうわけかこのバレンタインデーの由来って学校では全く教わっていないですよね。となると、義務教育ではバレンタインデーの由来について教えることが出来ない事情でもあるのでしょうか?

ということでこちらでは、バレンタインデーの由来とチョコレートを渡す理由についてお伝えしていきたいと思います。

バレンタインデーの由来とは

バレンタインでーというのは、正確に言うと「Saint Valentine’s Day」、直訳すれば「聖バレンタインの日」です。

「聖マリアンナ」などのように、「聖」の後に続くのは人名ということになり、バレンタインは三世紀のローマで殉教したキリスト教徒の英語名だそうです。

三世紀ローマの当時の皇帝・クラディウス二世は若者たちがなかなか戦争に出たがらないことに手を焼いていました。その理由を「家族や愛する者を持つとそこから去りたくなくなるから」だと確信したクラディウス二世は、結婚そのものを禁止するという行為に出ました。

そんな若者たちを哀れに思い、密かに結婚させていたのがキリスト教徒のバレンタインだったのです。これは、当時ローマではローマ国教という宗教が国教であったことも関係しているようですね。

しかしそんなバレンタインの行為が皇帝に知られることとなってしまいました。当時はキリスト教徒が弾圧されていたということもあり、皇帝はキリスト教からローマ国教への改宗を命じたのですがバレンタインはこれを拒否し、ついにバレンタインは投獄、そして処刑されてしまったのです。

この時点では「少数派の異教徒が君主に逆らって処刑された」と、言ってしまえば歴史上ではよくありそうな話であり、バレンタインは自らの信念を貫き通した聖人という位置づけのように思えます。

しかしこの話にもちょっとした裏があり、当時のキリスト教徒というのは脱税・サボタージュ・テロを繰り返すならず者集団でした。ローマ帝国はそういった犯罪集団を取り締まるためにキリスト教徒を弾圧したのです。

ご存知の通りキリスト教は後に勢力を増していき、ローマ国教をも取り込むほどになるわけですが、結局はキリスト教が多数派・勝者となったから都合のいい話に置き換えられているということも否めません。

このバレンタインが処刑された日が2月14日という風にも言われておりますが、正確なことはわかっておりません。そもそもバレンタインの生年や没日、歴史上で何をしたかということすら定かではないのです。

次に挙げる話は、バレンタインの由来として広まっているものですが実は誤りです。それはローマのルペルクスという豊穣の神のために行っていたルペルカーリアという祭りを起源とするというものです。

ルペルカーリアは毎年2月14日の夕方に、若い未婚女性の名前が書かれた紙が入れ物に入れられて翌日にその紙を男性が引いてその紙に書かれている名前の女性と交際をするというものだ、とも言われておりますが、実際には2匹のヤギと一匹の犬を生贄にし、生贄にしたヤギの皮を裸の上から被り、生贄を縛っていた縄で町の女性たちを引っぱたくという品のないものでした。

西暦496年、教皇ゲラシウス一世は風紀の乱れを憂いてルペルカーリアを禁止します。この祭りが2月15日に行われるものですから、これに取って代わってできたのがバレンタインデーだ、とする説ですね。

このルペルカーリアとバレンタインデーには何の関係もありません。ゲラシウス一世はこれとは全く関係のないところで、「何だかよくわからないけど世間で崇拝されてるバレンタインという殉教者の祝日を2月14日にする」と決めたのがそもそもの由来です。

バレンタインが処刑された日も、ルペルカーリアとも全く関係なく、何となく2月14日だったのです。

そんな適当な理由で決めただけですので、特に恋人の記念日というような意味付けもなくただバレンタインという聖人の名前と2月14日という日付だけが記録として残ったまま1000年もの月日が流れます。

14世紀のイギリスの詩人・ジェフリー・チョーサーが

For this was on Saint Valentine’s Day
When every bird comes there to choose his mate.

「聖バレンタインの日は鳥がつがう相手を見つける日であり、愛の日である」

と、それまで忘れ去られていたバレンタインデーに言及したことがきっかけで再び注目されることになります。

なぜ急にこのようなことを言い出したのかというと、リチャード二世とアン・オヴ・ボヘミアの結婚式が2月14日で、その二人の結婚一周年を祝うために書いた詩が上記のものなのです。

実際、この詩が出てくるまでバレンタインと「愛」を結び付けるような記述は見つかっておりませんし、そもそも2月という寒い季節に鳥がつがうなんてことはなく、政治的な意図が見え隠れします。

ともかく、この詩が広まり愛する人に贈り物をするとう習慣も同時に生まれます。

バレンタインにチョコを送る理由とは?

バレンタインといえばチョコレート。これについては日本が最初だという風に一般的に言われておりますが実はこれも誤りです。

上記のように、イギリスにおいてはバレンタインデーに贈り物をするという風習はありました。

そんな中で19世紀のイギリスにおいてチョコレートメーカーの創業者一族であったリチャード・キャドバリーがバレンタインデー用の綺麗なお菓子ボックスを売り出したのがきっかけです。

キャドバリー

最初はチョコレートに限らなかったのですが徐々に可愛らしい箱にチョコレートを入れて送る風習が人気となっていき、これがチョコレートを贈る文化の起源です。

日本においては神戸モロゾフ洋菓子店が1936年に「バレンタインチョコ」として広告を出したのが最初のようですね。

こうして見ると、バレンタインというのは特に理由もなく、なんとなく始まった行事なのだということが全体的な印象ですね。

何となく聖人に選ばれたバレンタイン、何となく選ばれた2月14日、何となく渡すことになったチョコレート、これらすべてが一体となって現在のバレンタインがあるのです。

そもそものきっかけとなった「聖バレンタイン」という人物ですら実在の人物かどうか疑わしいということで1970年以降、カトリック教会から聖人の名前として除外されてしまっております。

日本はキリスト教文化圏ではないことと、上記のような由来にも信ぴょう性がなく、カトリックからも追放されているバレンタインのことなど学校で教えるわけがないのですね。

とりあえず「チョコレートを送る」という習慣さえ残っていればチョコレート業界やお菓子業界にとっては都合の良いことですから、これからも騙し騙しチョコレートの販売促進をしていくことでしょう。

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