「どこの馬の骨ともわからぬ輩に・・・」
「馬の骨」という表現はこのように、素性のわからない人間を指して使います。
現代ではあまり使うことはなくなりましたが、以前はフィクションなどで娘の結婚に反対する父親が「どこの馬の骨ともわからぬ男に娘はやれん!」と言っている姿がよく描かれておりました。
さて、気になるのはこの「馬の骨」という言葉です。
普通に生きていて「馬の骨」を拝むことはそうないですよね。そもそも馬を日常的に見ている人などほとんどいません。
なぜ「馬の骨」という表現をするようになったのでしょうか?こちらでは「馬の骨」の意味についてお伝えしていきたいと思います。
馬の骨の意味や由来とは
辞書によれば「馬の骨」は素性のわからない者を指してあざけって言う言葉という風にあります。
これは中国で「役に立たないもの」の代表として言われていた「一に鶏助(けいろく)、二に馬骨」が由来になっております。
鶏助というのはニワトリの肋骨です。これは小さすぎて役に立ちません。通常、骨についている肉というのは美味しいのですが肋骨には肉が僅かしかついていないので腹の足しにもならないからです。
とはいえ鶏助、ニワトリの肋骨は鶏がらとしてスープの材料に使えるので全く役に立たないということはないのですけどね。
なんとこの「鶏助」はかの有名な三国志の曹操が漢中郡をめぐる劉備との戦いにおいて持久戦を強いられて苦戦していたところに「鶏助」と一言発して撤退したというエピソードがあるほど中国では古くから使われている言葉です。
そして鶏助に続くのが「馬骨」、馬の骨というわけです。
馬の骨は、役に立たないばかりでなく逆に大きすぎて処分にも困るものです。このことから誰にも必要とされず役に立たないものを意味するようになりました。
また、そこから転じて「大人ではあるが成長過程や職業がわからない」という意味でも使われるようになりました。
元々「役に立たない」という意味で使われてきたののしり言葉であったので、人ではない「馬」という表現も合致したのでしょう。「人でなし」なんて言葉もありますからね。
また、「骨」という言葉にはその人全体を指す意味もあります。「気骨」「老骨」という言葉はこういった意味で使われますね。そんなところも「馬の骨」という表現が合致した理由なのでしょう。
1600年~1700年ごろから「馬の骨」という言葉は使用されていたようですが、この「馬の骨」から派生したのか、馬と同じように人の身近にいた牛を用いて「牛の骨」なんて言われたこともあったようです。
現在では「牛の骨」とは言わずに「馬の骨」だけが残っています。
死馬の骨を買うの意味とは
余談ですが、「馬の骨」というのは「死馬の骨を買う」ということわざにも使われております。
このことわざの由来は中国の故事にあります。それによると、一日に千里走るという名馬を買うために、ある使者がすでに死んでいた名馬の骨を五百金で買って帰ってきたところ王が怒ったのだが「死んだ馬の骨にすら金を出すという噂が広まれば、必ずどこかから名馬の売り込みがくるでしょう」と言い、その後千里を走る名馬を三頭も手に入れることができたそうです。
このことから、優秀な人材を集めるためにはつまらない凡人でも優遇するという意味で「死馬の骨を買う」ということわざが生まれました。
死んだ馬の骨を買うことで熱心さは周囲にも伝わるでしょうが、却ってナメられて駄馬を売りつけられることになるような気がしないでもないですが、ともかく一生懸命やることでそのうち結果がついてくるというお話です。
「どこの馬の骨ともわからぬ・・・」の「馬の骨」とは由来が全く異なるはずなのですが、どういうわけか「馬の骨」が取るに足らない、つまらないものとして描かれているのは共通しております。
これでは骨になってもけなされる馬が少しかわいそうな気もしてきますね。