「高を括る(たかをくくる)」という言葉があります。
安易に予測して程度をあなどるとか見くびるといった意味で使われる言葉ですね。私自身もよく、時間に関して「これくらいならギリギリで間に合うだろう」とたかをくくって5分遅れる、というようなことがあります。
が、そもそも「高」って何なのでしょうか?「括る」というのもこれはこれで、「同じ枠組みに当てはめる」というような意味で使うような言葉ですがふさわしいのでしょうか?
ということで、高を括る(たかをくくる)の意味・由来や使い方についてお伝えしていきたいと思います。
高を括る(たかをくくる)の意味・由来・使い方
この「高」というのは、「生産高」やお金の「残高」などのように、数量や金額の見積もりとしての意味を持っています。
この場合と同じ意味で「高」が使われているのが「高が知れる」という言葉です。これは逆に、「程度が分かっている」ということで対象を軽く見た言葉ですね。
そして高を括るの「高」は石高。これは単に、米の収穫量を表すだけでなくその領主の武士の実力を測る指標としての意味も持っていました。
戦いに挑む前に相手の「石高」について予測して相手の兵力を見積もり、勝敗の見込みを計ったというわけです。これがまさに「高を括る(たかをくくる)」ですね。相手の石高が自分より小さいという予測が立てば「まあこの程度だな」と軽んじるわけですね。
「括る」というのはまとめる、というような意味で使われますがこの場合は石高などから割り出した相手の兵力についての「自分の考え」をまとめる、ということで使われていますね。
これだけであれば、単に高を括る(たかをくくる)の意味は「予想する」の範疇に納まりそうですが、もちろん実戦となれば相手の石高だけでその兵力を測れるものではありません。
日本の史実において、今川義元と織田信長が争った桶狭間の戦いにおいて、2万以上の兵の大軍を率いた今川義元を、織田信長はそのわずか1/10程度の兵力をもってして奇襲で勝利した、というのは有名な話です。単に兵力の数だけでは推し量れないものがあるんですね。
つまり、高を括る(たかをくくる)ことで兵力を予想して、それを頼りに戦いに挑むというのは無謀なことなのです。そんなことから「程度を測る」だけでなく「相手を甘く見る」という忌も込められて使われていったのです。
この由来からすれば、単に予測するだけでなく「相手をなめている」時に「高を括る(たかをくくる)」と言うのが正しい使い方と言えるでしょう。
おそらく、「予想したよりも悪い結果に終わってしまった」という既成事実、過去形として「~と高を括ったらだめだった」という使い方をされることが多いでしょう。