8月は終戦記念日がやってきます。
終戦記念日というのはあくまで
俗称で正確な名称は
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」
です。
8月13日~8月16日のお盆休みと
重なることや、小中高生にとっては
夏休み真っ盛りなのであまり気に
留めることはないのですが祝日
ではないんです。
なぜ終戦「記念日」なのに祝日では
ないのか?日本の敗戦の歴史から
紐解いていきたいと思います。
この終戦記念日がいつなのか?というと
8月15日ですね。
終戦というのはとりもなおさず
第二次世界大戦の終結を意味
しているのですが、8月15日を
終戦記念日としているのは日本
だけです。
しかし、アメリカ、ロシア(旧ソ連)、中国などは
いずれも9月を「対日勝利日」としています。
なぜこのように食い違うのでしょうか?
そもそも8月15日に日本で何が
起きて終戦記念日としているのでしょうか?
日本が戦争に参入した理由とは
まず日本では、第2次世界大戦
に参入する前の1937年から
対中国の戦争をしていました。
(日中戦争)
これが思いの外長期化しており
日本の経済に大きな負担と
なっていました。
というのも大国アメリカやイギリスが
中国に肩入れし物資援助をし
続けていたためなかなか決着がつかず
長引いていたのです。
この中国支援ルートを断ち切るために
南方に進出したいという思惑から
フランス領インドシナへ進駐すると
その先のフィリピンに領土を持つアメリカ
が態度を硬化させ、日本との交渉に入るも
決裂し、日本への経済制裁を発動します。
日中戦争での疲弊に加えて
アメリカからの経済制裁も加わり
にっちもさっちもいかなくなって
しまった日本ですが、これまでに
費やしたものを考えるとおいそれと
日中戦争をやめるというわけには
いきませんでした。
このあたりは負けがこんでいる
ギャンブラーみたいなものですね。
その後もアメリカは日本の中国・インドシナ
からの全面撤退などを要求する強硬な態度を
取り続けたため(ハル・ノート)、ついに日本は
1941年12月1日、アメリカ相手に開戦すること
を決定し、同年12月1日に日本軍が真珠湾
を攻撃することで始まりました。
中国を支援して日中の対立を煽ったことや
その後の強硬な姿勢からしても、初めから
アメリカが日本をけしかけて1戦やらかすという
思惑があったようですね。
昭和天皇のご聖断
開戦当初は日本の好調が続いたものの
1942年のミッドウェー海戦での敗北を
皮切りに44年7月のサイパン陥落、
45年6月沖縄戦の敗北と日本の
劣勢が続きます。
そして7月26日にポツダム宣言を発表し
降伏の条件を提示されましたが
日本はこれを拒否。
8月6日に広島、8月9日に長崎への
原爆投下が行われ、8月14日に
ポツダム宣言を受諾します。
そして8月15日に何が起きたのかというと
昭和天皇が正午にラジオにてポツダム宣言
を受諾し降伏することを宣言したのです。
つまり、日本の象徴であられる
天皇陛下が肉声で国家国民に
終戦を宣言したその日が8月15日
ということだったのです。
原爆投下が戦争を終わらせた?
よくこのポツダム宣言の話では
「日本がポツダム宣言を受け入れなかった
から戦争を早期に終結させるために
やむなく原爆を落とした」
と、あたかも原爆投下をしたアメリカが
正義であるかのように言われます。
しかし、実はアメリカが日本に原爆を
投下することを決定したのはポツダム宣言
発表の7月26日より前の7月24日です。
つまり、原爆投下は予め決められて
おりました。
もっと言えば、アメリカにはまず
「日本に原爆を落としたい!」
という思惑が先にありました。
なぜならソ連に対してアメリカの
強大さを知らしめて牽制するため
「原爆の力を見せつける」
必要があったのです。
それは、20億もの税金を使って
原爆の開発を進めていたことを
「無駄だ!」と追求する議員や国民を
納得させるという意味もありました。
要は原爆の試し打ちだったのですが
そのために日本はうってつけの場所
だったのです。
とはいえ、ポツダム宣言を受諾して
日本が降伏してしまっては原爆を
落とす機会がなくなってしまいます。
そこで、ポツダム宣言には
降伏後に
「天皇の地位の保持」
をあえて明記しないこととしました。
日本人の心の拠り所は国家国民の
象徴たる天皇です。
そして当時は政府の最高責任者
でもありました。
その天皇の地位が保証されない
のであれば日本人には到底、降伏を
受け入れがたいということが
よくわかっていたのです。
しかも、当初のポツダム宣言には
天皇の地位の保持は明記していた
のですがわざわざそれを削除しています。
案の定、天皇の地位の保障がない
降伏など日本は受け入れられるはず
もなく、まんまとアメリカの思惑通り
というわけです。
そして、実際に原爆が落とされても
なお、日本人は本土で戦う気でいました。
原爆が戦争を終らせたなど
アメリカの妄言に過ぎません。
この戦争を集結させたのは
他でもない、天皇陛下の
ご聖断であったのです。
そのため、この8月15日を「終戦記念日」
と呼ぶのはちょっと違いますね。
「記念」という言葉が似合うほど
めでたい日でもないですから。
天皇陛下のご聖断によって
敗北を認めた、苦汁を舐めた日で
あったからこそ、記念日として
祝日にしていない理由なのでしょうね。