ゴールデンウイークというのは
誰しも待ち遠しいですね。
人によっては1周間、あるいは
10日くらい休みが
続くって人もいるんじゃないでしょうか。
そして4月29日の昭和の日は
その本来の意味よりも
「ゴールデンウイークの始まり」という
認識の方が多いんじゃないでしょうか。
実はこの4月29日が昭和の日となったのは
2007年からでつい最近のことで、かつては
みどりの日と呼ばれておりました。
なぜみどりの日から昭和の日に
なったのか?と調べてみると
興味深い日本の歴史の話がありましたので
書き記していきたいと思います。
昭和の日が制定されるまで
この4月29日は、2007年から
「昭和の日」となりましたが
その前はみどりの日と呼ばれていたことは
前述のとおりです。
そしてみどりの日の前は「天皇誕生日」でした。
つまり昭和天皇の誕生日ですね。
現在は12月23日が天皇誕生日と
なっていますがこれは昭和天皇が崩御なさり
元号が平成に変わってからのことです。
そうすると、4月29日から12月23日に
天皇誕生日が横滑りして
4月29日は祝日から平日に変わるかと
思いきや、すでにゴールデンウイーク初日
としての役割が大きかったこの日を何とか
祝日として残したいという
政府の意向があったようです。
まあ実際、50年以上も祝日として
根付いていたわけですから
ゴールデンウイークありきで
組み込まれているものとかも
ありそうですよね。
例えば旅行業界なんかは
ゴールデンウイークが書き入れ時なわけで
急にこの日が平日になってしまったら
大きな経済的打撃を被ることになります。
そういった団体への救済処置としての
意味合いか、あるいは政府への直接の
陳情もあったのかもしれませんね。
昭和天皇の誕生日なのだから
「昭和の日」というのは今は自然な
形に収まっていますが、当初この日は
「みどりの日」という名前で祝日に定められます。
なぜみどりの日かというと
昭和天皇が自然をこよなく愛し
生物学者としてもご活躍されたことに
由来しているからだそうです。
これを聞くとなおさら
最初から昭和の日で良かったじゃん!
と思いますよね。
みどりの日の制定された当初は
他に「昭和記念日」という候補が
あったのですが当時の国会の野党の反対
により不採用となりました。
まあ、理由は
「軍国主義を象徴するような祝日はいかん!」
とかいう今も根強くあるやつでしょうね。
しかし「昭和という名前を残してほしい」という
国民の要望は根強く、有志たちの請願は
国会を動かし昭和の日制定に向けて
動き始めます。
そしてついに2000年、
森喜朗内閣のもとで昭和の日制定の
法律案が国会に提出されるものの
衆議院解散によってお流れになりました。
2002年には第一次小泉内閣のもとで
再び法律案が提出されるものの
衆議院解散でお流れに。
三度目の2005年の第二次小泉内閣の
時にようやく可決へと至りました。
昭和の日というのはどういう趣旨が
盛り込まれているのかというと
祝日法第2条によれば
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、
復興を遂げた昭和の時代を顧み、
国の将来に思いをいたす。
とあります。
この文を見ると、「軍国主義だ!」と
声高に反対する人を説得する
ギリギリの落とし所だなあと感じられ
有志たちの努力が短い一節に
詰め込まれているような
そんな印象を受けます。
そしてみどりの日は
完全になくなったわけではなく、
特に祝日としての意味合いはなく
飛び石連休の穴埋めの位置づけ
であった5月4日に横滑りする
形で収まりました。
(5月4日はそれまでは
「国民の休日」とされていました。)
わりと新しい祝日ですが
私達日本国民を象徴するような
祝日なわけですから、子々孫々にも
伝えていきたいものですね。
昭和の日がなくなる?
最近になってようやく制定された
努力の賜物であるせっかくの昭和の日が
なくなるのではないか?ということが
言われております。
これに関しては確実なことはいえませんが
昭和の2つ前の年号である明治について
興味深い話があります。
私達の記憶では現在は
「明治の日」という祝日は国民の祝日には
なかったはずですよね。
明治天皇の誕生日は11月3日で
かつてこの日は「明治節」という明治天皇を
象徴する祝日だったのですが
現在では「文化の日」という祝日に
定められております。
この文化の日・・・
「自由と平和を愛し文化をすすめる日」
という位置づけがされておりますが
これだけ聞いても正直
何を祝うのか趣旨がわからないですよね。
成人の日、憲法記念日、勤労感謝の日など
字面だけでも趣旨がわかる祝日がほとんどの中
すごく違和感があります。
ちょっと込み入った歴史の話に
なってしまいますが「文化の日」という
祝日が施行されたのは
敗戦の傷もまだ癒えぬ1948年、
GHQ占領下で祝日法というものが
定められた時になります。
GHQの日本占領政策は
日本の国力を削いで再びアメリカの
脅威となるようなことを防ぐという
政治的思惑があり、この祝日法も
その一環というわけです。
(パンの給食への普及、
教科書における大東亜戦争から
太平洋戦争への呼称の変更なども
GHQの思惑が働いています。)
つまり、日本を象徴するような
日本国民の団結意識が
高まるような祝日が邪魔だったわけです。
そう考えると、文化の日という
なんだか趣旨がよくわからない
祝日ができた意味が分かるというものです。
現在ではGHQの占領自体は
終わっているとはいえ、占領下で
一方的につきつけられた憲法が
現在の日本を形作っているという
現実があります。
昭和の日は有志たちの
努力の賜物によってようやく
最近制定されたものですが、ここまで
時間がかかってしまったのも
その背景があったためです。
そういう意味では、これから先、
外部の政治的思惑により
昭和の日がなくなる方向に向かってしまう
ことも十分に考えられます。
実際に他国の政治的思惑によって
日本の象徴の祝日が一つ
消されてしまいました。
私達国民の一人一人が
占領下でつきつけられた
憲法のことを考えることが
少なからずこういった日本の象徴を
守ることにつながっていくと思います。