毎年二月三日は「節分の日」であり、昔から学校や家庭内などで豆まきをして育ってきたという人がほとんどでしょう。
豆まきとかどうでもいいからなんで学校が休みじゃないのか?なんてうがった見方をしている人もいたのではないでしょうか。節分の日は祝日ではないですからね。
私自身も、学校が休みだと思ったら休みではなく、かつ豆まきという茶番をやらされて子供心に辟易したことをよく覚えています。そして特別美味いわけでもない炒っただけの大豆を歳の数も食べなくてはならないこともあり、節分に関してはあまりいい思い出がありません。
そんなわけで、小学校での行事以来、節分とは無縁な生活を送ってきたわけですが改めてこの節分の日という行事の由来や意味がふと気になってきたんです。
幼少時代は周りから与えられたものの中でしか生きていくことはできませんが、幸いにして現在はある程度自由に動いたりすることがかないますので、嫌な事は嫌だと断ることもできます。
となるとなおさら、なぜあんなに大して面白くもない行事をやらされたのかがますます疑問に感じてきます。
なぜ祝日ではないのか?
なぜ豆まきなんて無駄なことをするのか?
なぜ「鬼は外福は内」なのか?
なぜ歳の数だけ大豆を食べるのか?
考えてみれば尽きない疑問があるわけですが、興味が全くない子供の時にはこういった疑問は浮かびませんでした。ということで、改めて節分の意味や由来、豆まきの意味などについて調べていきたいと思います。
節分の意味や由来とは
まずは「節分」という漢字からその意味を考えてみましょう。
「節を分ける」という風にありますが、この場合の節は「季節」のことを指します。つまり「季節を分ける」季節の分け目のことが節分の本来の意味ということになります。
季節というと春夏秋冬の4つが思い浮かびますね。日本では一年を24つに区分けした二十四節気というもので一年における節目を決めているのですが、その中でも特に重要なのが春夏秋冬の始まりを意味する「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の4つです。
この中で、一年の始まりを意味する「立春」は毎年2月4日頃となりますが、これは毎年2月3日頃となる節分の日の翌日です。言い換えれば立春の前日が「節分の日」ということになります。
この二十四節気は旧暦に基づくものなので、現在の暦と照らし合わせると1か月半ほどのズレが生じているのであまりピンと来ないかもしれませんが、立春というのはかつての元日を意味し、節分の日というのは現在で言う「大晦日」のことを指します。こう考えると、節分の日の重要性というのもなんとなく理解ができるのではないでしょうか。
旧暦から現在の暦に変わったのは明治時代のことです。急に暦が変わっても、それまでの暦を前提にしていた伝統のある行事というのはそう簡単に日付を動かせません。そんなわけで現在において2月3日ごろという不思議な月日として節分の日の習慣が残っているのです。
この本来の意味からすれば、立春の前日だけでなく立夏、立秋、立冬それぞれの前日も「節分の日」ということになりますね。しかし現在では「節分の日」というと通常、立春の前日のみを指します。これは立春が「一年の始まり」という特別な意味を持つために現在にも残っているというのがあるのでしょう。
詳しくは後述しますが、年の節目ということで特別な行事が行われてきたので、その行事が行われてきた名残として、立春の前日のみが注目されているといったところでしょう。
なぜ豆まきをするのか?その理由や意味とは
節分の日と切っても切り離せないのが「豆まき」です。というかむしろ節分以外のどこで豆まきをするのか?というくらいの話ですよね。
昔から季節の変わり目というのは、邪気(鬼)が生じるという風に考えられておりました。そしてその邪気(鬼)が、災害、病、飢饉などをもたらすという風にされてきたのです。
季節の変わり目というと急激な気候の変化などで体調を崩す人が増えますが、これも邪気が生じているという風に考えられていたのかもしれませんね。
この邪気(鬼)を追い払うための新年の儀式「追儺」が中国で行われていたのが文武天皇の頃(奈良時代)日本に伝わったのが節分の始まりとされております。当初は宮中において陰陽師が執り行っていました。
当初は豆をまくとという行事はしていなかったのですが、やがてこれが社寺で行われていた「豆打ち」と融合して一つの儀式になっていったのです。室町時代になると一般庶民にも豆まきの風習は定着しました。
豆まきの疑問はとりもなおさず「なぜ豆を投げるのか?」ということに尽きます。
様々な理由や由来が考えられるのですが、大きな一つの要因としては日本人が農耕民族であるということが挙げられます。
日本人は昔から五穀(米、麦、稗、粟、豆)を大切にし、これらには災いを追い払う特別な霊力があると信じてきました。
例えば鏡餅を備えるのも、五穀の神様である「歳神様」に昨年の豊作を感謝するために昨年取れたもち米をつかった餅をお供えするという意味がありますね。
そして現在でも豆まきに近い「散米」という清めの目的でお米を巻くという儀式が神社などで行われているようです。
このことから豆をまくのは大きな意味合いとしては邪気(鬼)を払うための清めの儀式ということが言えますね。しかしこれだけだと別に豆ではなく米でも麦でもいいはずです。なぜ豆なのでしょか?
それは、豆が魔を滅する(魔滅=まめ)に通じるという語呂合わせからきているようです。昔話として京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけて退治したというものが残っておりますが、つまり「魔目に豆を投げて魔を滅した」というわけなのです。
もしかしたら五穀のうちで一番安価に手に入るから、とかもっと単純に「投げやすいから」という理由もあったのかもしれませんけどね。
ちなみに豆を撒くときに生豆ではなく煎るのも理由があり、生豆を投げてそれを拾い忘れた際に芽が出ると、そこからまた邪気(鬼)が湧いてきてしまうので煎った豆を使うのです。
なぜ鬼なのか?
鬼というと角が生えて縞々のパンツをはいている姿を想像しますが、なぜ節分に鬼なのでしょうか?
実は本来の鬼というのはその由来をたどると「いない」→「おぬ(陰)」→「おに」という風に変わっていったという経緯があり、実体のないものを指していたのです。冒頭から邪気(鬼)という風に書いていたのは、実体がないが災厄をもたらす存在としては邪気と鬼は同義ということも込めていたのです。
つまり私たちが通常想像する鬼、というのは目に見えない邪気をわかりやすいように具現化した形というだけにすぎません。
なぜ年齢の数だけ豆を食べるのか?
邪気を祓うのに使った豆(福豆という)は拾って食べるのですがこれは本来、数え年の数だけ食べるのが正しいようです。自分の年齢と同じ数だけ福を取り入れるという考えから来ていますね。
となると、別に自分の年齢に限らずもっと多く食べたほうがより福を取り入れられるのではないか、という風に思いますよね。
これはおそらく、昔の日本人の年齢の数え方からきているのではないかと思います。
現在ではそれぞれの誕生日を迎えるごとに一つ年を取るという「満年齢」での数え方が一般的ですが、かつては生まれたその瞬間を1歳として正月に年を取るという「数え年」が一般的でした。
そしてこの数え年というのは五穀の神様でもある年神様がお正月にやってきて「一つ歳を授けてくださる」という考え方から来ています。
今では年を取るというのは「勝手に誕生日がやってくる」というような感覚ですが、かつてはありがたく年を頂戴していたということで、今以上に年齢についての受け止め方の重みが違ったのでしょう。年神様が授けてくださった年齢に嘘をついて余分に福をもらおう、というセコい考えは道義的によくないものとされてきたのではないでしょうか。