「せこい」という言葉があります。
2016年上半期は、失態を犯しながら頑なに東京都知事の椅子に座り続ける舛添要一元東京都知事が、家族の正月旅行を経費として計上する「せこい」振る舞いが話題になり、この「せこい」という言葉もものすごく注目を集めたものではなかったでしょうか。
そんな、舛添元都知事のように卑しい、ケチくさい様を「せこい」という風に表現するイメージですが、この言葉の語源や詳しい意味などが気になったので調べてお伝えしていきたいと思います。
せこいの語源や意味とは
せこいという言葉を聞いてまず気になるのは、「せこ」というのは漢字で書くとどのようなものになるのか?ということです。
これが正にせこいという言葉の語源の一つの説でもあるのですが、漢字で書くと「世故」となります。「世古」という言葉には世間の付き合いとか習俗と表す意味があり、つまり世古いというのは世故に詳しくて世渡りが上手いということを指し、これが悪い意味に捉えられて金銭に細かいケチな様子を指す言葉として変わっていきました。
物は言いようですね。「世渡りが上手い」というのも言い換えれば「確固たる自分を持たぬ根無し草」という風に表現できますし、倹約家や節約家だって、「ケチ」という風に言えます。要は、受け取り手の印象次第というわけです。
あるいは、明治時代の芸人や的屋などの間で隠語として使われていたという説もあるようです。この説においては、当初は今のように卑しいとかケチ臭いといったその人物の気質を表す意味ではなく、「悪い」とか「下手」といった、技術的な面があまり宜しくない様子を表す言葉でした。
それがいつしか客種が悪いとか景気が悪いというような意味の隠語として使用されるようになり、主に関西地方で広がって現在のような意味で知られるようになったのだとか。
さらには、このけちくさいという意味から転じてズル賢いとかズルいといった意味でも使われることがありますね。ずるいことをした人に対して「せこい奴だな~!」という表現は私自身が子供のころから結構聞きました。
ずる賢いというのもケチ臭いというのも、「細かく小さい視野でものを見ている」という共通点がありますね。そういった大枠の言葉として「せこい」という表現は理に適っているかもしれません。
徳島と関西で意味が異なるせこい
このせこいという言葉に関して注意が必要なのが、徳島県の阿波弁においては意味が異なるという点です。
阿波弁では狭い場所のことを迫(せこ)と言い、狭い場所=余裕がない ということから苦しいとか疲れた、という意味でせこいといいます。また苦しいから転じて食べ過ぎておなかが苦しいという意味でも使います。これは、例えば満腹になるまでご馳走になった際に「せこい」という表現をするということであり、標準語の「せこい」に慣れている人からしたら
腹いっぱい食べておいて「せこい」とは何て卑しい奴だ!
と憤慨してしまいますね。
阿波弁では「今日せこいんよ~」とか「○○ちゃんがせこいって」という風に日常用語で頻繁に使われる言葉ですので、悪気は全くないという風に覚えておきましょう。これは単に、自身の体調不良を訴えているか、第三者の体調を気遣っているだけですからね。
実際、徳島出身の人が関西に引っ越した際に、関西の友人と一緒にいるときに「疲れた」という意味で「せこいな~」と言ったところ、その関西の友人に「オレのどこがセコイねん!」とマジ切れしたというような話がありました。まあ、この話は関西の友人が単細胞過ぎるな~っていうのもあるのですが。
とはいえ「関西人はせこい」というレッテル貼りをされることも多いですから、そういうステレオタイプな見方をされたと思って怒ったのかもしれませんね。