「さすが!」という感嘆の言葉はフィクションでも現実世界でもよく耳にしますが、漢字で書けないという人も結構いるみたいですね。
さすがを漢字で書くと「流石」なのですが、逆にこの漢字を見て「さすが」という読み方をすることを知らないという人もいるみたいです。
「流石 読み方」なんて検索ワードがYahoo!のところに挙がってきているところからもよくわかります。中にはYahoo!知恵袋で「流石って読み方は何ですか?」なんて質問をしている人も結構いますね。それくらいは辞書を使わないまでも「流石 読み方」で調べるだけで出てきそうなものですが・・・
まあほとんどの人は「流石」の読み方もご存じだとは思うのですが、この言葉の語源って気になりますよね。
「流石」という字を見ただけではこれがどうして「さすが」になるのかは見当もつきません。流れる石・・・川を下って削られて丸くなる石しか思い浮かびません。
ということで「流石」「さすが」の由来・語源・意味などについて調べてお伝えしたいと思います。
流石(さすが)の意味・由来・語源
この言葉の由来は中国の故事にあります。
昔、孫楚という男がおり世の中を嫌って隠居したいという思いを抱いていたのですが、それを友人の王済に伝えようと
「流れに漱ぎ石に枕す(これからは石を枕に寝て、川の流れで口をすすぐような生活をしたい、の意)」
と言いたかったのですが
「石に漱ぎ流れに枕す(これからは川の流れを枕に寝て、石で口をすすぐような生活をしたい、の意)」
と言い間違えてしまったのです。
これを聞いた王済は「何を言っている?川の流れで寝て石で口をすすぐ生活なんてできるのか?」と聞いたところ、意地っ張りの孫楚は
「流れに枕するのは、耳を洗うためであって、石ですすぐのは、歯を磨くためなのだ」
と屁理屈をこねたのです。
これに王済が「とんでもない屁理屈だがうまいことを言うな」と感心し、そこから感心する際に「流石」という表現を使うようになったのです。
この由来からも分かるように、単純に感心するだけではなくその一方で相反する感情も抱いている時の表現が「流石」なのです。辞書的な説明をするなら
あることを一応は認めながら一方でそれと相反する感情を抱く様
という意味になります。こうすると余計にわかりづらいかもしれませんが、例えば
「カレーはうまいが、3日連続ともなると流石に飽きる」
といった具合ですね。カレーのおいしさを認めながらも飽きという感情を抱いているときの表現です。
ただ、最近では「評判や期待通りの事実を確認し改めて感心する」という、単純な感心の時にも「流石」という言葉を使い、むしろそちらのほうが主流になっているといえますね。
「流石」が当て字なのはわかりましたが、ではそもそも「さすが」という言葉はどこから来ているのか?
元々は、上代言葉の「そうはいっても」という意味の「しがすかに」が変形して「さすがに」になり、ここからさらに「に」を落として「さすが」となったのだとか。これは上記の「あることを一応は認めながらもそれと相反する感情」ですね。
ともかく元々あった言葉「さすが」に上記の故事を合わせて「流石=さすが」という風になったのです。
ただ感心するだけでなく、「相反する感情」が少し見える上記の故事がぴったりだったのでしょうね。
そして間違って言ってしまった「漱石枕流」という言葉は、それ単体で「負けず嫌い」とか「頑固者」を意味する言葉となり、さらにはこのエピソードを気に入ってペンネームにしたのがあの夏目漱石です。
元々、新語を作るのが趣味だった夏目漱石にとってこういうエピソードは好物だったでしょうね。夏目漱石というと、「五月蝿い(うるさい)」という当て字をして広めたことでも有名です。