♪桜~吹雪の~ サライ~の空へ~
のテーマ曲でおなじみの24時間テレビですが、毎年毎年流れる「サライ」って曲の意味って何なのでしょうか?
ということで気になったので「サライ」の意味について調べてみました。
サライっていつから歌われてるのか?
サライという歌自体が誕生したのは1992年の8月29日~8月30日に放送された24時間テレビがきっかけです。
2017年で25年間歌われることになりますから、実質的にもう24時間テレビのメインテーマ曲と言ってもいいですよね。
この時の24時間テレビは「愛の歌声は世界を救う」というテーマで放送していて、全国から寄せられた愛のメッセージを基にして谷村新司さんが作詞をし、加山雄三さんがギターで作曲をすることによりサライが作られました。
となると、サライという言葉自体は寄せられた視聴者のメッセージから取られたということでしょうか?これはおそらく違うと思います。それはサライという歌の歌詞を見ると何となく分かりますが詳しくは後述。
それにしてもこのエピソードからするとサライって曲は1日で作ったということになりますよね。
プロのミュージシャンにとっては曲を1日で作るのなんて朝飯前なのでしょうか。
たまに「この曲は5分で出来た」なんてミュージシャンが言っているのを聞きますもんね。
サライの意味とは
さて肝心のサライの意味ですが、これはペルシャ語のsara’i が由来になっているようです(基本形がsara サラー、「イ」はペルシャ語の不定語尾)。
意味としては「家、旅館、役所」などがあり比喩的に「世間、世界」という意味も持ちます。
トルコ語、ウイグル語、ウズベク語、カザフ語ではサライは「宮殿」なんて意味もあります。
あとはサライ全体の歌詞としてどの意味が正しいのかを意訳することになるんだけど、この中じゃどう見ても「家」が最も正しい意味ですよね。
それはサライという言葉が出てくる歌詞を見ても分かります。
サライという曲のテーマは「心のふるさと」だと日本テレビは説明しています。
というかまず、冒頭に
遠い夢捨てきれずに 故郷を捨てた
という歌詞が出てくることからも故郷に関する歌なのは誰の目にも明らかです。
そして肝心のサビ部分
動き始めた 汽車の窓辺を
流れてゆく 景色だけを じっと見ていた
サクラ吹雪の サライの空は
哀しい程 青く澄んで 胸が震えた
故郷を後にする人間が汽車に乗りながらぼんやり外を眺めており、おそらく3月や4月の時期なのでしょう。桜吹雪が舞い散る中そこに映る空は悲しいくらい青く澄んでいた・・・
どう考えてもサライの意味は「故郷」ですよね。
まあ家にしても宮殿にしても広い意味で「戻るところ、帰る場所」という風に捉えることが出来るから、その点で言っても大きくずれてはいないでしょう。
そのほかにも「砂漠のオアシス」「キャラバン隊のための小さな宿」という意味を持つという説もありますが、これについては正誤がハッキリしません。
とはいえ皆さんが知りたいのは歌としての「サライ」の意味だと思うんで、それについては「家、故郷」ってことで十分です。
なぜ「サライ」という言葉を使ったのか予想
歌全体の意味からすればサライは「故郷」とか「家」で間違いないですが、じゃあなぜ単に「故郷」にしなかったのでしょうか?
おそらく、これは単に語感だと思います。
サクラ~吹雪の~ ふるさと~の空へ~
だとどうにもしまらない感じがしますよね。前の「サクラ吹雪の」の部分とはなるべくリズムを合わせたいところです。
かといって「こきょう~の空へ~」という風に無理やりに3文字に合わせても、「こきょう」じゃ表現が直接的過ぎて野暮ったいというかピンと来ませんね。
そもそも冒頭で「故郷」という歌詞を使っており、ここでまた使うと歌詞として美しくありません。
そろそろ1番の締めに入るサビ後半という盛り上がる部分なのでインパクトのある言葉がほしいところ。
と、ここで目につけたのが「サライ」だったんだと思います。
「故郷」と直接言うのではなく比喩的に表現できるし、あまり馴染みのない言葉なのでインパクトがあるし、さらに言うと「サクラ」と若干音が似ていて韻を踏んでいるようでリズムも良い(音数も3音)。
これが、私が「サライ」という言葉が視聴者の公募で出てきたものではないと思う理由です。
明らかに作詞した谷村新司さんのプロとしての心遣いが感じられるからです。