「温故知新」という四文字熟語がありますね。
よく、引き合いに出されるのが「故きをたずねて新しきを知る」という言葉です。どちらも、「過去の事例を研究することで新しい知恵や知識を得ること」というような具合に言葉の意味の説明がされますが、どこか腑に落ちないところがありませんか?
少なくとも、私は温故知新の意味として納得がいきません。過去の事例から新しいことを知る、というのは単にその当事者が無知故に知らなかったことを「へえ~知らなかった!新しいことを知ったな」と言っているに過ぎないですよね。それは本人にとっては新しいことかもしれませんが、社会全体としては新しさなどかけらもないはずです。
古いものから良さを見出すというのは、「ルネサンス」などのように「復興」という言葉の方がしっくりきます。温故知新の意味は、本当にこのようなものなのでしょうか?疑問に思ったので調べてみることにしました。
温故知新の本当の意味・由来・語源とは
実は温故知新というのは元々の原典である孔子の「論語」によれば
故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師となるべし。
というのが正式なもので、「以て師となるべし」の部分が省略され、さらにそこから漢字のみを抜粋して四字熟語にしたのが温故知新という言葉になります。
これを現代訳すると、「以前に習ったことや昔のことを習熟し、新しいことを知れば師となることが出来る」という風になります。
つまりこれは、応用だけを知るのではなく、基礎の部分もきちんと習熟していなければ誰かに教えるほどの域には達していない、という意味なのです。
考えてみれば当然の話で、例えば「日本は海に囲まれているので気温の変化が少ない」という知識を誰かに教えようとする際に、それをそのまま教えることは簡単ですが「なんで海に囲まれてると変化が少ないの?」と根本的なことを聞かれて答えられないとしたらどうでしょう。
「水は比熱が大きいので熱しにくく冷めにくい」という基礎知識があるからこそ、日本が海に囲まれているので気温の変化が少ないという知識の理解が深まるのです。表面だけ取り繕うのではなく、根本から理解をしなさい、というのがこの温故知新の本当の意味というわけなんですね。
あるいは、古い事だけでなく新しいことも知ることが「師」として一人前になるということでもあるのでしょう。古い事ばかり知っていて新しい知識を得ようとしないのも、逆に最新のことばかり追いかけるミーハーでもダメなのです。その両方を知ったうえで、それらを融合してさらに新しいことを生み出せる人というのが最も良いですからね。
よく温故知新、引いては「故きを温ねて新しきを知る」の意味として「古いものや昔のものを見ることで新しい知識や見識を得る」というような説明がされておりますがこれはちょっと違います。
温ねる(たずねる)という言葉の意味からしても、単にそれを知るというよりは「大事にする」というニュアンスの方が近いですよね。このことも、「基礎的なことを大事にしてから応用に臨みなさい」という本来の温故知新の意味と辻褄が合います。
しかし、どういうわけか様々な辞書においては温故知新の意味の説明はこのようなものになっております。まあ、言葉というものは大多数が「正しい」と思ったものが広まればそれが正しくなっていくので、現代では主にこちらの意味で使うことの方が多いようですね。
ちなみに、なぜ温古知新ではなく温故知新なのかというと、これは孔子の「論語」において「温故而知新、可以為師矣」と書いてあるものをそのまま拝借しただけなので、特に深い意味はありません。しいて言うなら「孔子がそう書いていたから」というのが理由になるでしょう。