節分といったら豆まき、そして豆まきといったら欠かせないのが「鬼は~外!福は~内!」という掛け声ですよね。
節分の由来や本来の意味についてはすでにお伝えしたところではありますが、まだこの掛け声の謎というものが残っております。
独特のイントネーションで繰り出される「鬼は↑~外↓ 福は↑~内↓」というのはまるで歌の節を思わせるような不思議なリズムがありますが、この掛け声の意味というのは一体何なのでしょうか?気になったので調べてみることにしました。
鬼は外福は内の意味や由来とは
節分の日というのが季節の変わり目である立春、立夏、立秋、立冬の前日をそれぞれ指し、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じて災害、病、飢饉などをもたらすためそれを祓うために節分の行事が行われてきたということは節分の日の由来についての記事で説明しました。
そして鬼というのは本来目に見えて存在するものではなく、邪気と同じような意味だったものを分かりやすく具現化した姿ということもお伝えしました。
このことから「鬼は外福は内」というのは悪いものを追い払い、良いものを内に招く意味があるということは理解できると思います。
とはいえ、この「鬼は外福は内」という掛け声は全国共通ではありません。
日本は八百万の神の国という風に言われますが、それに伴って信仰の対象となるものが地域によって異なったりします。
例えば東京都台東区の仏立山真源寺や埼玉県比企郡嵐山町の鬼鎮神社では鬼を祀っているので「鬼は~外」自体がタブーで、「福は~内 鬼は~内 悪魔~内」という掛け声を使います。
このほかにも「鬼は内」とする神社は結構ありますね。
その理由も様々で、鬼を祀っているという理由だけでなく鬼を呼び込んで説教をして改心させるためだとか、全国で追いやられて行き場をなくしてしまった鬼を憐れんで引き取るというボランティア精神にあふれる神社もあります。
あるいは「鬼塚」「鬼頭」「鬼沢」「九鬼」さんなど名字に「鬼」のつく家が多い地域ではこの掛け声を言わないという大衆迎合的な神社や寺もあります。
結局は、こういった行事というのは本人の気の持ち方やとらえ方の違いからくるものなので、どれが正しいやり方だとかどれが間違っているか、というのを考えるのはあまり意味のないことのように思えます。
多種多様で自由な信仰が許されるからこそ、こういった違いが生まれてくるということでこれが日本らしさなんだ、という誇らしさすらありますね。
なので「福は~内!鬼も~内!」と言ってもいいですし、「副は~内!」とだけ言ってもいいですし、あるいは何も言わずに黙って豆をまくのも自由というわけです。