「風が吹くと桶屋が儲かる」
何気ない日常の風景の一つが、回り回って思いもよらないところに影響を与えるということわざですね。
まあ、ことわざというものは四字熟語とは違って日常で使うことはそれほどないもので、それ単体で楽しむもの、という意味が強いかもしれませんね。
ところで、この「風が吹くと桶屋が儲かる」という話の全容はわかりますでしょうか?わらしべ長者のように回りくどいので(というかわざと回りくどくしているところはありますが)ほとんどの人がその意味をご存じないことでしょう。
ここでは、「風が吹くと桶屋が儲かる」の意味や由来についてお伝えしたいと思います。
風が吹けば桶屋が儲かるの由来
このことわざの意味は、あることが原因になってそれが巡り巡って思いもよらぬ結果を生むということで、当てにならないことのたとえとしても使われます。
これが使われたのは江戸時代の浮世草子『世間学者気質(かたぎ)』巻三(無跡散人著、明和5年、1768年)というものが最も古いものです。それによると
今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。そこで三味線がよふうれる。そうすると猫の皮がたんといるによって世界中の猫が大分へる。そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぢりおる。爰(ここ)で箱屋をしたらば大分よかりそふなものじゃと思案は仕だしても、是(これ)も元手がなふては埒(らち)明(あか)ず
という風にあります。現代風に訳すと
・大風で土埃が立つ
・土埃が目に入って盲人が増える
・盲人は三味線を弾く(当時は盲人が就ける職業は三味線弾きくらいだった)
・三味線を作るために猫の皮がいるので猫の数が減る
・猫が減ればネズミが増える
・ネズミは箱をかじる
・箱の需要が増えて箱屋が儲かる
という手順をたどることになります。原案者もこれが理屈として成り立っているかは度外視で適当に考えて書いたのでしょうね。そして、当初は桶屋ではなく「箱屋」だったわけです。
まあ、現代に生きる私たちにとってはどれもとんでもない理屈に思えますが、当時の時代背景からするとそこまでめちゃくちゃな論理というわけでもなかったのかもしれません。
例えば砂埃で失明するというものですが、昔は道路も舗装されておらず砂埃が舞いやすかったのと、医療が発達していないので失明する人が多かったのでしょうね。反面、現代は排気ガスなどの大気の汚れもあるのでその分のリスクは高くなっているかもしれませんが・・・
そして三味線に猫の皮が使われるというもの。愛猫家たちの悲鳴が聞こえてきそうですが、昔は猫の皮が使われていました。今では合成の皮が多く、猫の皮が使われるということはそれほど多くないですが、高級品では猫の皮はいまだに使われているそうです。
あくまで文献としての最古の記録が上記のものであって、実際には似たような表現が口・頭で使われていたのかもしれませんね。
その後も文献としては「東海道中膝栗毛」(1803年)に登場しますが、このときもまだ「箱屋」という記載です。
これがいつの間にか桶屋に変わっていってしまうわけですね。私たちにとっては桶屋も箱屋もあまりなじみがないのでどっちでもいいといえばどっちでもいいですが・・・しいて言うなら字面で「箱屋」のほうがわかりやすいくらいですかね。
一説には、「桶屋」の桶というのが「棺桶」を示しているのではないか、とも言われております。この場合、風というのは台風のことをさし、つまり台風の災害によって死人が多くなるので棺桶が売れるというものです。
しかしこの説が正しいとなると、前述の箱屋の話との整合性がなくなってしまいますね。文献としてきっちり残っているわけですから。おそらく、この死人が多くなるから桶屋が儲かるという説は本流とは外れた俗説としていつしか言われていったものなのでしょう。
このことわざの使い方としては、あてにならないことを期待しているひとや机上の空論を言っている人に対して「そんな風が吹くと桶屋が儲かるみたいな話するなよ」と釘を刺す、というのが適当でしょう。
本来の意味からすれば馬鹿馬鹿しいことを意味するのですが、ビジネスにおいてはちょっと違った使われ方もするようです。
それは「何が起きるかありとあらゆる事態を予測して事に臨め」という意味で、この桶屋が儲かる理論が引き合いに出されるのです。
確かに、現代においても何が原因かわからないけどいきなり流行りだすというものはありますよね。何が流行るか予想ができれば独り勝ちできるというわけです。
まあ、それができれば苦労はしないのですが・・・。そもそも、他に誰も追随者がいない独占状態だから儲かるのであって、それをほかの全員が予測してくるとしたらそこからさらに一歩先を行った予想をしなくてはなりませんね。