「そろそろお暇させていただきます・・・」
お暇する(おいとまする)という言葉はこのように、「帰る」という意味の謙譲語として使われています。
この言葉を聞いて少し違和感を覚えるのは、お暇(おいとま)という読み方はともかくとして「暇」という漢字をあてがったところです。
漢字そのままの意味で解釈するなら「暇」なわけですから、暇だったら帰ることなくゆっくりしていけばいいじゃないか、と普通の人なら思いますよね。
なぜ「帰る」を「お暇する(おいとまする)」という風に表現するようになったのでしょうか?その意味や由来などをお伝えしていきたいと思います。
お暇(おいとま)するの意味とは
暇を「ひま」ではなく「いとま」と読むのは、このお暇(おいとま)するのほかにも「枚挙に暇(いとま)がない」という表現において用いられます。
「枚挙に暇(いとま)がない」の意味は「一つ一つ数え上げる暇がないほど多い」ということで、「いとま」は「ひま」とほぼ同じ意味と言えるでしょう。
そしてお暇する(おいとまする)という言葉についてですが、これは元々「お暇をいただく」とか「お暇を頂戴する」でありました。
これは文字通りの意味で「時間をもらう」という風になり、「休ませてもらう」→「帰ります」になるのです。
この「お暇を頂戴する」がさらに簡略化されて「お暇する(おいとまする)」という風になっていったものと思われます。
現代においても名詞に「る」をつけて動詞化するというのはありますよね。愚痴る、ダブる、ミスる、トラブる、などそれこそ枚挙に暇がありません。お暇する(おいとまする)もその一種と言えるでしょう。
現代においてはなかなかお暇(おいとま)という言葉が使われることがないので、こういった古い言葉を使うと一目置かれるということはあると思います。
しかし、単純に「時間」といった意味で「お暇」を使うと思わぬ誤解を招くケースもあります。
例えばお暇する(おいとまする)の元となった「お暇を頂戴する」という表現は単に休むという意味ではなく「職場を辞める」という離縁を意味する側面が強いところがあります。
それは夫婦間の離別においても「暇を出す」という表現を使うことからわかります。
逆に、お暇(おひま)をいただくという表現をしたほうが離縁という意味が強くなるという解釈をしている人もいます。時代劇などで女中が辞める時に「殿、おひまを頂戴しとうございます」という風に言うことからきているのでしょうか。
まあ、お暇(おいとま)するという表現は帰るという意味の謙譲語で現代も使えるので問題はないですが、「お暇」単体で使用するときは注意が必要ですね。