冬の食べ物の代表格といえるのがおでんですね。
体があったまる上に、使われている具材もヘルシーで脂っこさがなく、さっぱりといただけるという非常に勝手のいい食べ物です。
昨今ではコンビニで売っているおでんなんかでもかなり質が高くて十分おいしいおでんが楽しめます。半面、季節に関係なくおでんを食べたい人にとっては夏もおでんを置いて欲しいと思いますよね。季節柄、品質管理が難しいというのはしょうがないのかもしれませんが・・・
さてこの聞きなれた「おでん」という言葉の語源って一体なんなのでしょうか?日本語には気になる言葉がいくつかありますが、「お」という接頭語で丁寧さを表現したものは多いですね。となると「でん」は一体何なのか?
ここでは「おでん」の語源をお伝えするとともに、おでんの歴史なども合わせてご紹介していきたいと思います。
おでんの歴史とその起源・由来など
さて、おでんという言葉の語源についてですが、やはり前述のとおり、「お」というのは単なる接頭語です。では「でん」は一体何なのかというと、これは「田楽豆腐」の略で「田」から取っています。ここに「御」を足すので、漢字で書くと御田、おでんというわけです。
これは田楽を示す女房言葉(宮中や院に仕える女性が使う丁寧な言葉)でした。
田楽というと、普通はこんにゃくと味噌を想像しますが、ここでは文字通り、豆腐を使っていました。
この田楽豆腐というやつは味噌も使っておらず、豆腐を切って竹串に刺し、塩を振って焼くという非常にシンプルな料理でした。と同時に、おでんとは全然関係ないもののように思えますよね。どちらかというと焼き鳥のようなイメージに近いです。
何しろ、田楽豆腐が登場したのは平安時代のことで、当時の日本にはまだ醤油も味噌も製造する技術がありません。
室町時代に入るとすり鉢が登場し、味噌をすりつぶして調味料として使うことができるようになりました。味噌汁が登場するのもこのあたりの時代からですね。そして田楽豆腐にも味噌を塗って焼いたものが登場しますが、まだまだ私たちが想像するおでんの姿とは程遠いようです。
江戸時代に入ると焼くのではなく、煮込む田楽が登場します。そして豆腐に限らず、ナスや里芋、こんにゃくなども具材として使われ、田楽の多様性が増してきます。
今ではおでんというと汁が具によくしみこんでいるものが食べられますが、この時はまだ汁気があるだけで汁に味はついていませんでした。煮込んで甘味噌をつけて食べていたのです。味のしみ込んでないこんにゃくなど今では考えられませんが、ともかく現在のおでんの原型がようやく見えてきました。
やはりこんにゃくはそのヘルシーさからたちまち人気になり、そのこんにゃくに注目して醤油で煮込んで食べるようになりました。こんにゃくはその食材の味を楽しむというよりは、食感を楽しむ食べ物ですからね。外に味噌をつけるより、煮込んで醤油を浸み込ませたほうが美味しいのは当然でしょう。
そして江戸ではかつおだしに濃口醤油と砂糖の甘い味に、上方(関西)では昆布だしを温めて甘味噌を使うという薄味に、それぞれ分かれていきます。上方のほうは、本来のおでんの作り方を守ったわけですね。
これが、江戸時代末期~明治時代にかけて、握り寿司が盛んになるとその相乗効果で醤油の製造も盛んになり、安い醤油が庶民にもいきわたりました。そんな背景もあって明治20年(1887年)に創業した「呑喜」の創業者は、「改良おでん」というものを売り出します。
こうして江戸風の醤油で煮込んだおでんが全国に広まっていきます。
この江戸風のおでんは関西にも持ち込まれたのですが、前述のように伝統を守った作り方をしていた関西人には、江戸風の濃い目の味付けがあまり好まれませんでした。そこで関西風に薄口醤油を使った関西風おでんが誕生します。
ややこしい話なのですが、関西では「おでん」というのは醤油で煮込んだほうのものではなく、従来の甘味噌を使った味のしない汁で煮込んだもののほうのことを指していたため、江戸風のおでんのことは「関東炊(かんとだき)」と言われておりました。なので、この関西風おでんというのは言うなれば「関西風関東炊」といったところですね。
現在では関東でも関西でも煮込む田楽のことを「おでん」と言い、焼く田楽のことを単に「田楽」と言っています。
これだけ変遷の歴史をたどってきたおでんなので、おそらく今後も進化していくのでしょう。思いもよらないものをおでんの具材にしてしまうとかですね。
個人的にはウインナーはおでんの具としてどうなのだろう、と思うこともあるのですがおでん自体がこのように変革を取り入れてきた食べ物であるということを考えると、一見変に思えるような具材がおでんに使われるのは仕方のないことなのかもしれません。