母の日にカーネーションを送るのはなぜ?その理由、由来、歴史は

母の日といえばカーネーション。

カーネーションといえば母の日。

カーネーション

それくらいこの2つは密接に
関係しているわけですが
なぜカーネーションなのか?
その理由や由来について
考えてみたことは有りますか?

私自身も、今回母の日について
調べるまでは正直「いつが母の日なのか」
すらわかっていない状態でした。
(5月の第二日曜日が
母の日にあたります。)

それどころか
「なんで祝日じゃないのかな?」と
現金なことを考えていました。

でもそれじゃあいかんということで
母の日がどういう由来があって
成り立っているのか、そもそも
カーネーションを送る理由は
何なのかを調べてみることにしました。

母の日=カーネーションの起源

ルーツは100年以上前のアメリカでした。

1905年、アメリカのヴァージニア州に住む
アンナ・ジャービズという女性の母親が
亡くなりました。

アンナ・ジャービズは母親を追悼しようと考え
アンドリュー・メソジスト教会で
白いカーネーションを追悼会の参列者に
一輪ずつ配りました。

これは1907年5月12日のことです。

白いカーネーションはアンナの
母親が大好きな花でした。

そして、その翌年である
1908年5月10日に、公式のキリスト教の
式典が行われました。

これが当時の5月第二日曜日だったのです。

ここから全米にこの習慣が広まり、今度は
白いカーネーション
亡くなったお母さんのために
赤いカーネーション
存命のお母さんのために

送られるようになりました。

カーネーション 赤白

そして1914年にはアメリカの議会で
正式に「5月第二日曜日は母の日とする」
と定められ現在に至ります。

母の日の日本への輸入

日本で初めて母の日の催しがされたのは
1913年のことです。

青山学院はキリスト教として
有名な大学ですが、この母の日の
布教活動の一環として、アンナが
青山学院へと手紙を送り
それに賛同した女性宣教師たちが
日本でも母の日を普及させようと
活動し始め、この年に礼拝が行われました。

その後すぐに浸透していった
わけではなく、一時的に3月6日を
母の日にとしていた時期がありました。

これは昭和初期からのことで
当時の皇太后の誕生日が
3月6日だったためです。

昭和天皇

しかしあまり浸透せず
戦後の1949年頃になり
アメリカなどにならうようにして
「5月の第2日曜日」
を母の日と定めました。

個人的には、3月6日が母の日と
なってくれたほうが日本独自の
文化が形成されてよかったのになあと
思いますが、仕方ないですね。

1949年というと日本はまだ
連合軍総司令部(GHQ)の占領下に
あったため、アメリカにならって母の日を
制定したのもこの辺りが関係しているのでしょうね。

カーネーションを送る理由は

まあ、要するにこの
「アンナ・ジャービズがカーネーションを送ったから」
というのが由来になりますね。

それを単純に模しているだけなんで
正直これ以上の考察のしようがありません。

キリスト教的な解釈をすれば
キリストが十字架にかけられた
時に聖母マリアが落とした
涙の跡に生えた花が
カーネーションとされており
「母親の強い愛情」を意味するようです。

マリア

ただ、これだと子供を亡くした
母の悲しみ、というふうに解釈できて
しまうんで、アンナ・ジャービズの
母を思う気持ちとは正反対ですよね。

あとは花言葉というものが有ります。

花言葉は明治時代に
欧州から輸入されたもので
この母の日のカーネーションとは
ルーツも時代もまるで違うので
本来なら何の関連性もありません。

ただ、日本というのは
諸外国から取り入れた文化を
噛み砕いて日本独自の文化に
昇華させてきた国でもあるので
花言葉と関連付けて日本独自の
母の日を作っていくのも
良いと思います。

後付けで関連性をもたせるならば
赤いカーネーションが「母の愛」
という花言葉を持つので
母の日にはぴったりだと思います。

以上、母の日とカーネーションについて
の調査になります。

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