もなかという和菓子がありますね。
最近ではアイスになったりしておりますが、やはりオリジナルの最中というものが一番良いように思えます。煎餅のようなパリパリした食感を残しながらも、あんこの風味が効いていて絶妙な組み合わせになっています。
ただ口が乾くのでお供にお茶やコーヒーは欠かせないですね。
そんなもなかを漢字で書くと「最中」になります。これ自体は特に疑うところもなく素直に受け入れられますが、それよりも疑問は「なぜこの漢字を使ったのか」というところです。
「最中」と書くと、おそらくこの言葉単体では「さいちゅう」という風に読む人のほうが多いでしょう。しかもこれは和菓子とは全然異なる意味で、「真っ只中」というような使われ方をしますので、少々紛らわしいというのも事実です。
ここではなぜもなかが「最中」という漢字を使われるに至ったのか?その意味や由来・語源などをお伝えしたいと思います。
「もなか」と「さいちゅう」の違いは?
現代に生きる私たちにとっては「最中」という言葉は「もなか」よりは「さいちゅう」のほうが馴染みがあるし、理解もしやすいと思いますが、元々はこの漢字は「もなか」と読むほうが本流といえます。
「もなか」というのは訓読みで、日本古流の読み方はこちらです。方や「さいちゅう」というのは明治以降に現れた新しい読み方で、当時としては「誤った読み方」とか「漢文調の気取った読み方」という意味合いが強いものでした。
これがいつしか、逆転して「さいちゅう」が現代語に、「もなか」はどちらかというと古い読み方として認識されていくようになったのです。
つまり、もなかもさいちゅうも単に読み方が違うだけで、本来の意味に違いはないということになりますね。いわば「もなか」は、最中の本来の読み方の伝統を引き継いだ和菓子という風に言うことができます。
もなかの歴史や意味とは
さて、最中というお菓子がどういう風に作られているのかを軽く説明すると、薄く焼いたもち米の皮の中に餡を詰めるという工程で作られます。
煎餅みたいだなと思ったのは、もち米を使っていたからなんですね。確かに、ふつうのお米を使って作られる煎餅よりはもち米を使っている分、若干粘り気というかもちっとした食感がありますね。
最中の歴史は平安時代(794~)にまでさかのぼり、宮中の宴の席にて詠まれた
水の面に 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の 最中なりける
という詩の中で登場しました。これは宮中で月見の宴の時に出された白い丸餅のお菓子を中秋の名月になぞらえて読まれたものです。
もちろん、この時は単に言葉としての登場であって、このお菓子は現在の最中とは関係がありません。ただこの詩を参考にしてそれから1000年ほど経った江戸時代に、江戸吉原の煎餅屋・竹村伊勢が「最中の月」というお菓子を販売し始めました。
この時点では、竹村伊勢が作ったもなかというものは中に餡が入っているというものではなく、もち米を水でこねて伸ばした生地を満月のように丸く形どって焼き、そこに砂糖をつけるというようなものでした。
まあ言っても竹村伊勢は煎餅屋ですからね。
「最中」の由来として、真ん中に餡が入っていることから中央を意味する「最中」という言葉があてられたというものもありますが、この話からすれば餡が入る前にすでに「最中」という名前が付けられていたということで、これは誤りということが分かると思います。
それにしても江戸時代というと「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるように、短気で喧嘩っ早い人が多いというようなイメージがありますが、このように昔の詩を風流に思って楽しむという遊び心もあったんですね。内乱のない太平な世だからこそ、そういったことを楽しむ余裕もあったのでしょうか。
ほぼ時を同じくして、吉川福安さん、林家善介さんという御菓子屋さんが売り出した最中は「最中饅頭」として中に餡が入っていました。これは正に、最中の月で庵を挟んで饅頭にしたものです。これらにより、現在ある最中の形にかなり近づいたと言えるでしょう。そして、名前も省略されて単に「最中」と呼ばれるようになっていきました。
やがて明治・大正時代にもなるとほとんどのお菓子屋で販売されるようになり、餡の種類も増え、形も四角や小判、花形など様々な形のものが増えていきました。
本来の「最中」の意味からすれば、中秋の名月のことを指した「最中の月」のことなので、丸くない最中は本来の最中ではない、ということが言えなくもないです。ただ、時代とともに言葉の意味の捉え方が変わっていったのも事実です。
今や「最中」というのは餡子をもち米の皮で包んだお菓子そのものを指しますしね。日本語の中にも、本来は誤用でありながら広まってしまい、いつしかそれが正しい使い方となった、というものがいっぱいありますから、本来の意味などを考えるのは無益なことと言えるでしょう。