「水臭い」という言葉があります。
イメージとしては、親睦を深めている仲だと思っていた人が自分に対して遠慮するとか、よそよそしい態度を取った際に「俺とお前の仲じゃないか、水くさいぞ!」と言うような時に使う言葉ですね。
日本語には、一体どういう由来があってこんな不思議な言い方になったんだろうと思うような、不思議な言葉がいくつかありますが、この「水臭い」に関しては「水」も「臭い」も両方とも大半の人に意味が通じる言葉です。
しかし、無味無臭の代名詞とも言える「水」が臭い、とはこれいかに?ということで、「水臭い」の由来・語源・意味について調べてみることにしました。
水臭いの意味・由来・語源
辞書で「水くさい」を調べていくと、その意味は
1.水分が多くて味が薄い
2.よそよそしい、他人行儀である
という風に二つあり、味のことを示すほうが先に来ていますね。なので本来の意味はこちらのほうが正しいでしょうが、現在では古語となりつつあり、もっぱら「よそよそしい、他人行儀である」のほうで使われています。
水を「水として」認識して飲んだり食べたりする分には違和感はないでしょうが、「水以外」の飲食物となるとちょっと話が変わってきます。水気が多いことが必ずしも最良とは限らない飲食物も存在します。
わかりやすい例で言えばカルピスなどは、水で薄めるほどまずくなる飲み物でしょう。本来、水というのは無味無臭なので「まずくなる」というのはないはずなのですが・・・不思議なことに人間の味覚は薄すぎるカルピスのことはまずく感じてしまいます。
ともかく、そういった水気が無駄に多くて味気ない、まずい食べ物のことを「水臭い」という風に表現していたのが由来になっているというのが一つの説です。これは江戸時代の関西の方言が元になっているようですね。
実はこの「水くさい」という言葉、関西で使われる際にはこの本来の味のことを指摘する時に、「味付けが薄くて物足りない、塩気がない」の意味で現在でも使われております(地域によるようですが)。
方言には標準語と同じ音でありながら意味が違うというものがいくつかありますが、「水くさい」もその一つというわけです。そこから思わぬ誤解を生むことも多々ありますが、この「水くさい」に関してはそういったトラブルはあまりなさそうなのが幸いです。
まあご存知の通り水は無臭なので「臭い」というのはちょっとおかしい気がしますが、この場合の臭いというのは「水のにおいがする」というより「水っぽい」という意味が近いでしょうね。
「~っぽい」という意味で「~臭い」と表現するのは現代でもあることです。
そこから転じて、人間関係が希薄で愛情が薄いことを「味気ない」という風にとらえ、比喩的に「水臭い」という表現を使うようになったのです。
「水くさい」のもう一つの由来は「盃洗」というものが元になっているという説です。
盃洗というのは文字通り「盃を洗うもの」で、ボール状の形をした容器のことです。その容器の中で口をつけた盃を洗ってから相手に渡していました。
これは酒飲みにしかわからない感覚かもしれませんが、お互いが飲んでいる酒杯を交換して相手のものを飲むという習慣があるからです。今では洗うことはしないで直接渡すかもしれませんが、かつての日本ではそのような洗うための容器があったのですね。
しかしこの盃洗を使用すると、どうしても器に水気が残ってしまいます。その水気が残った盃に酒を注ぐと若干、水の味が残って「水くさい酒」になってしまうのですね。
お互いに信頼関係があるならばわざわざ盃を洗わずともそのまま交換すれば良いですね。そんなところから他人行儀な振る舞い」に対して「水くさい」と表現するようになった、とする説です。
また、逆に盃洗を使わずに済む関係のことを「水入らず」と言います。「親子水入らず」という表現がありますね。
さらに、「沙石集」という本の中に男女の出会いから別れを
初めはコクのある生酒。そのうち水臭き酒になり、やがては別れが訪れる。別れてからはちと酒臭き水となる
という風に表現した文章があるそうです。まずい酒のことを「水くさい酒」と評していることからこの「盃洗」が由来になっているという説の信ぴょう性が増しますね。
これらを勘案すると、後者の「盃洗」が由来になっているという説のほうが「水入らず」というほかの言葉の由来になっていることに加えて文献にも残っているということで正しいように思えます。
あるいは、これはどちらも正しいのかもしれませんね。