「くだらない」という言葉があります。
あまりいい意味では使われないですね。取るに足らない、とか面白くないというような、何かを罵るときに使う言葉ですね。
仲間内なんかだと「くだらねえ」と言われたことに対して「くだるよ!」なんて言い返すこともありますが、この言葉の意味は果たして本当に「くだる・くだらない」という次元の話なのでしょうか?
ということで「くだらない」の本来の意味・由来・語源などを考えてみることにしました。
くだらないの意味・起源・由来
元々、「下る(くだる)」という言葉には「通じる」という意味がありました。今でも排便が快調なことを「お通じ」とか言いますし、腹を下すという表現もします。
それを否定形で打ち消すことで「下らない」として、話が通じないとか意味がないというような意味で使われたのが語源になっています。
現在ではそれが転じてまともに取り上げる価値のない、どうでもいい、取るに足らない、馬鹿馬鹿しいというような意味で使われております。
「くだらない」の由来にはこれの他にも諸説あります。その一つがまずい酒のことを「下らない酒」と呼んだことに由来するという説です。
関西地方、主に京都に近いところを「上方」という風に呼びますね。これは、かつて天皇が京都にお住まいになっていた際に天皇が住む都を「上」として、政治の中心であった江戸との差別化を図った呼び方です。
そこから、上方から江戸に送られてくる酒のことを「下り酒」と呼んでいました。これは単に関西から送られてくるからという理由だけでなく、関東の酒は上方のものよりも米や水の質が悪く味が悪かったということも含めてのものです。
一方で、関西には灘や伏見などの清酒の本場がありうまい酒を作るのが盛んでした。なので、上方から関東に送られる酒のことを「下り酒」と呼び、酒に限らず「下りもの」と呼んでいたりしました。逆に、関東から上方に送られるまずい酒は「下らない酒」だったのです。
これは一見正しそうな説に思えますが、「下りもの」という言葉が生まれる前から「くだらない」という言葉は存在しておりました。このことが「くだらない」が持つ意味にさらなる彩りを加えた、ということはあるかもしれませんが、ここが由来になったという説はちょっと厳しそうです。
さらにもう一つの説としては「百済ない」が語源になっているというものです。
百済、というのは歴史で少し出てきたと思いますが昔の朝鮮にあった国です。百済ない、つまり「百済ではない」。これが何を意味するのかというと、「百済はすばらしい」ということが前提にあるということです。
曰く、日本に農作を伝えたのは百済の人々で、百済の人々は頭がいいとしていていたため、逆に頭が悪く話の通じない人のことを百済ではない、「百済ない」と表現したのだとか。
しかし、歴史でちょろっとやっただけですが「百済」ってそんな素晴らしい国だったというようなイメージって正直ないですよね?7世紀に滅んだ国ですし。
そもそも、日本語の中には「~ない」という否定形を使う時に名詞がそのまま入る言葉というのはごく限られていますよね。ましてや、くだらないという言葉が出てくる前は「くだらぬ」という風に言われておりましたのでなおさら不自然です。
ということでこの説はちょっと考えられないのですが、なぜこんな説が広まったのか?というと、やはり韓国人が絡んでいます。
戦前、日本が朝鮮を植民地にしていた時代に、それを正当化するために「百済はくだらない」という風に言っていたのですが、戦後になると韓国人が「百済のものではない=つまらない」という風に勝手に作り替え、その誤用がどんどん広まって現在に至るのだとか。
韓国起源説という、万物が韓国から始まったとする、一種の政治的プロパガンダのようなものがありますが、この「百済ない」というのもそれに含まれる戯言と言って良いでしょうね。