甲子園の土の持ち帰りの慣習の由来はいつから?その後どうする?

夏は甲子園の季節です。

プロ野球はそこまで興味ないけど
甲子園で頑張る純粋な高校生は
つい応援したくなっちゃいますよね。

そして甲子園でよく見る光景といえば
試合後に「甲子園の土を持って帰る」
あの場面です。

甲子園 土

敗れ去ったチームが涙を流しながら
甲子園の土を持って帰る場面が印象的
ですが、あれは何も負けたチームに
限らず、勝った方も持って帰っています。

ところであの「甲子園の土を持って帰る」
という風習は誰がどのようにして、いつから
始まったのでしょうか?

また、持って帰ったあとの土は
その後どうするのでしょうか?

気になったので調べてみることにしました。

最初に土を持って帰ったのは誰?

甲子園の土を持って帰るように
なった由来については諸説ありますが

・1937年の第23回大会で熊本工業の投手だった
川上哲治が持って帰った

というのが最も有力な説になります。

川上哲治

その他にも1937年の第23回
大会での東京高等師範附属中
(現・筑波大学附属中学校・高等学校)
の佐々木迪夫監督とする説や
1949年での第31回大会での
小倉北のエース福嶋一雄選手
とする説もあります。

ただ、甲子園球場のHPでは
甲子園の土を持って帰った第一号は
川上哲治さんであるとしています。

まあ、より古いもののほうが
野球ファンにとっても面白いでしょうし、
何より川上哲治さんは巨人で選手や監督を
務めた野球界にとって重要な人物
なので、こういった人物が由来であると
したほうが野球界は盛り上がるでしょうしね。

最初に世に出たものや人が「初代」と
されるのは野球界だけに限らないでしょう。

全く無名の選手が最初に始めたのかも
しれません。

実際、川上哲治さんが甲子園の土を持って帰る
前に、宿舎に戻ってスパイクに着いた土を
紙に包んで持ち帰るなんてこともしていた
みたいですからね。

とはいえ、「全く無名の選手が最初に始めた」
ではエピソードとして盛り上がりに欠けますし
「川上哲治が第一号」のほうが、野球界の人
たちにとってwin-winの関係になるのでしょう。

持って帰った土はどうする?

甲子園の土を持ってかえるのは
旅行に行ってその土地の特産物を
おみやげに買うような感覚です。

まあ、そもそも甲子園球場のグランドを
踏むことすら一般人にはなかなか許されない
ので、土を持って帰るというのは甲子園に
出場したという確かな証になるわけ
ですから、格別なものでしょう。

ただ単純な疑問として、その土を持って
帰ってその後どうするんだろう?と
気になりますね。

持って帰ったあとの土の用途としては

  • 自分の学校のグランドにまく。
  • 自分の思い出として保管する。
  • 知人友人などに分けてあげる

などがあるようです。

ただ母校にまくとなると他の土と
混ざっちゃってせっかくの甲子園の土が
どこにあるのかわからなく
なっちゃいますよね。

しかも自分の分がなくなっちゃうような。

かといって思い出に保管しようにも
土って年月が経ってもその品質が
保てるのでしょうか?

まあ、カッピカピに干からびた土でも
瓶に入れられて「甲子園の土」なんて
ラベルが貼られてれば信じるでしょうが。

防腐剤とか入れたらせっかくの土に
手を加えちゃうことになりますしねえ。

知人や友人に配るというのも
野球関係者や野球に興味のある人
ならいいでしょうが、あんまり興味のない人
に配られても何とも思わないし、むしろ
そんなものをもらってしまったら捨てるに
捨てられず困っちゃいますね。

とはいえ野球関係者に配ろうものなら
「自分が甲子園に行けたからって
自慢をしやがって!」
なんて妬みを買う原因とかにならないの
でしょうか笑

まあ当サイトの管理人はかなりドライ
なのでこんなことを書いちゃってますが
嬉しい人にとっては嬉しいのでしょうね。

以上、甲子園の土を持って帰る慣習の
由来と、持って帰ったあとどうするのかの
調査になります。

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