8月18日は米の日です。
8月8日を米の日とするところや
毎月8日を米の日とするところも
ありますが、おそらく8月18日が一番
しっくり来ると思います。
その由来は、米という漢字を
分解すると「八十八」になることから
来ています。
米をよく見ると、「十」の上と下にそれぞれ
八がありますよね。
これは数え年八十八歳を祝う
「米寿」でも同じことが言えます。
また、お米を作るのに八十八の作業が必要、
と言われていることからもこの8月18日が
お米の日となったと言われております。
まあ、日本人にとってお米というのは
ほぼ毎日食べている人というのが
ほとんどでしょうから、今更お米の記念日
というのもあまりピンと来ないでしょう。
当たり前のように私達の生活に根付いている
お米がいつどのようにして始まったのか?
その歴史や起源を考えるのも良いかもしれません。
お米の歴史
お米の歴史は相当に古く、日本に伝来
したのはおそらく縄文時代の後期で
アジアから朝鮮半島経由で北九州地方に
入ってきました。
かつては弥生時代に稲作が始まったと
思われていたのですが、その節を覆す
ような資料が九州地方の縄文遺跡から
発見されたため、3500年前の縄文時代
後期に稲作が始まったものと思われます。
そして2500年前になると水田での
米作りが主流になり
(それまでは畑でお米を育てていた)
それが弥生時代へと移り変わるきっかけに
なった、というのが現在の定説のようです。
これも、現在存在する資料による予測なので
もっと古い時代から米作りを行っていた
可能性すらあります。
そして弥生時代になると、水田稲作の技術は
日本列島各地へと急速に広がっていきます。
弥生時代の水田というのは全国で20か所以上
見つかっており、この時代にはすでに日本全国
に広がっていったと言えるでしょう。
お米の稲作技術が全国に広まったことで
弥生時代になった、と少し述べましたが
お米はそれほど革命的なものだったのです。
なぜかというと、お米を作るようになるまでは
狩猟が主な食料供給の手段ですから、
獲物を求めてあちこち移住するという暮らしです。
それがお米を作るようになると
定住して作物を育てるようになりますから
より効率的に作業が出来るようにコミュニティを
形成していきます。
ムラの誕生です。
このようにコミュニティを形成するように
なると、段々と貧富の格差が生まれていく
ことにもなりました。
弥生時代には基本的には身分の差はなく
どの人間も等しく焼き米を食べていました。
奈良時代になると貴族が生まれ、貴族が
お米を主食とし庶民は雑穀を食べるという
お米格差が生まれることになります。
そしてまだまだお米の精錬技術も
なく、白米が食べられるようになったのは
江戸時代に入ってからと言われています。
それも最初はやはり支配者階級のみ
に許される贅沢品だったのですが、
江戸時代後期になると江戸の庶民も
白米を食べられるようになります。
しかし、これは江戸という都市部に住む
庶民のみの話で、全国的に見ると
まだまだ白米が庶民に浸透している
とはいえませんでした。
逆に、江戸の庶民が白米ばかり食べるので
ビタミンB1が不足して脚気になるという
事態が起きていたくらいです。
このため、脚気は江戸患いなんて
呼ばれていたんだとか。
一般庶民へと白米が広まるのは
明治時代に入り品種改良が
進められてからになります。
こうして紆余曲折を経て私達の食卓に
並ぶようになったのがお米です。
お米の日、改めてお米を
見つめなおす日にしたいですね。