頭が切れる人というのは憧れますよね。そんな人たちのことを「切れ者」なんて呼んだりするわけですが、なぜ「切れる」という言葉を使うのでしょう。
確かに「切れる」というのは鋭さを連想させる言葉であって、頭が鋭いという風なイメージで使うのかもしれませんが、同時に「すぐキレる子ども」「逆ギレ老人」などのように、何をしでかすかわからないという危うさを孕んだ意味も込められております。
ここでは、「切れ者」「頭が切れる」という表現の本当の意味や由来などを考えていきたいと思います。
頭が切れるとキレるの意味や違い
「切れる」という言葉からは、鋭利な刃物がスパッと物を切断する様を連想させますが、「頭が切れる」とか「切れ者」という言葉はこちらのほうを指して言う表現です。
「切れる」というよりは、「切ることが出来る」というほうが正しいでしょうか。「簡単に切ることが出来る」「切れ味鋭い」という刃物そのものの方に注目して「切れる」と言っています。つまり、その頭の回転の良さや鋭さを切れ味の良い刃物になぞらえて「頭が切れる」「切れ者」という表現をしています。
対して、「すぐプッツンする」というような悪い意味で使われる「切れる(キレる)」のほうは、刃物ではなく切断される側のものの方になぞらえて言っています。わかりやすく言えば糸がプッツンと切れる様に対して「キレる」という表現を使っているのです。
こちらの「キレる」の語源となったのは、お笑い芸人の西川のりおさんのギャグだという説が有力です。
デビューしたばかりのころの西川のりおさんは、何をやっても客が笑ってくれない状態だったのですがそれを何度も目の当たりにした西川のりおさんがやけくそになって舞台のスタンドマイクをかじり「頭の線がキレとんのじゃ!」と怒ったところそれで客が大爆笑したというエピソードがあります。
国語の文法的に言えば「助動詞+動詞」で表現しているのが「頭が切れる」、「自動詞」で表現しているのが「ささいなことでキレる」といった具合ですね。
「頭が切れる」「切れ者」という表現は、単に頭が良いというよりはその思わぬ事態に遭遇した際の機転の利かせ方や発想力の鋭さを強調して言います。対して、知識や教養を幅広く持つ人は「頭がいい」という風に言うことが多いですね。
どちらかというと、「頭が良い」よりは「切れ者」になりたいと思う人が多いように思えます。それはYahoo!の検索ワードにおいて「切れ者になるには」というものが候補として挙がっていることからもうかがえます。
確かに、「知識を取り入れること」というのはある意味、時間さえかければ誰でも出来ることではありますが、ここぞという時の頭の回転というものは勉強したり本を読んだりしたからといって発揮できるようなものではありませんし、それ故に「ちょっと工夫すれば自分でもなれるんじゃないか?」なんて甘い夢を見させてくれるところもあります。
やはり、知識や見識を深めつつもその上で発想力・機転に富んだ切れ者になりたいものですね。