11月23日は勤労感謝の日です。
「勤労に感謝する」という文字通りに解釈するなら、普段勤労にいそしんでいる分、せめてこの日くらいは・・・という理由で祝日になっているようなイメージが持たれます。
そういえば、憲法で定められている国民の三大義務にも、納税・教育・勤労と定められておりますね。納税と教育には休みはありませんが、せめて勤労だけは休まる時があってもいいのかもしれませんね。
しかしなぜ11月23日が勤労感謝の日になったのか、という疑問がわいてきますね。
単に語呂合わせというわけではなさそうです。まあ、国民の祝日ですからね。
ということで、こちらでは勤労感謝の日の由来についてお伝えしていきたいと思います。
勤労感謝の日の由来や本当の意味とは
勤労感謝の日は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨になっております。
生産というと、通常思い浮かぶのは米や野菜などの作物の「生産」ですよね。もちろん、生産というのは別に形あるものに限らず、無形物である「サービス」なども労働によって生産されることは確かです。教育、医療、接客などはすべてサービスを提供することで成り立っている商売です。
とはいえ、わざわざ「生産」という言葉を使うとかえって誤解を生みますよね。単に「勤労をたつとび、国民たがいに感謝しあう」という言葉だけで事足りるはずです。なによりも「勤労を貴ぶ」のは別にこの日に限らず、言うなれば毎日心掛けなければいけないようなことにも思えます。
実は、ここに勤労感謝の日の由来における闇が隠されています。
かつて11月23日は勤労感謝の日などというものではなく「新嘗祭(にいなめさい)」という祝日でした。
「新」というのは新穀のことを、「嘗」というのは御馳走のことを指します。新穀の収穫を祝い、来年の豊穣を願うという日本人が農耕民族たる象徴のような祝日です。そして宮廷行事として毎年、天皇陛下が神々に新穀を供えて恵みに感謝をする儀式を行っていました。
現在でも、天皇陛下に関するニュースというのは興味深く見ている日本人は多くいます。特に2016年には天皇陛下が「生前退位」のご意向を示され、それに対して国民の議論も深まりました。
しかしかつての日本人の心には現在とは比較にならないほど強く天皇陛下の存在というものがありましたので、この祝日の重要度というものは想像に難くないでしょう。
加えて、昔の日本というのはそのほとんどが農家でした。そのため、新穀の収穫具合というのは文字通り死活問題だったわけで、そんな背景からしても新嘗祭はとても重要な祝日でした。
新嘗祭の歴史は古く、日本書紀において「皇極天皇元年(642)の11月16日」に行った記録があります。もちろん文献による記述がこれというだけで、実際にはもっと古くから行われていてもおかしくありません。
なぜ11月16日なのかというと、これは旧暦における11月の中卯日、二番目の卯の日です。この日に新嘗祭を行うという習慣が根付いていたのです。最初の卯の日には相嘗祭(あいなめさい)という収穫祭を行っておりました。
これが明治時代になり、暦が太陰暦から太陽暦(新暦)へと変わりました。具体的に言うと明治六年(1873年)10月14日の太政官布告第344号「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」により、その年の中卯日が11月23日だったため、それ以降は11月23日として固定されていったというわけです。
つまりその年の中卯日がたまたま11月23日だったからそれがずっと続いているというわけなんですね。
まあ日付に関しては若干ズレが生じたものの、この意味からすれば一年の勤労によってもたらされた収穫に感謝するのが趣旨ということで、本来なら毎日そうあらなければならないはずの「勤労を貴ぶ」日が11月23日に制定されたことも納得というわけです。
新嘗祭から「勤労感謝の日」へ
これほど長く続いていた行事が破壊されてしまったのは、戦後になってからです。
敗戦後の日本をGHQ(連合国軍総司令部)が占領したというのはご存知の通りですが、GHQの最高司令官であるダグラス・マッカーサーは日本を統治してから数か月の間に、日本人の精神の中に天皇陛下というものが強く存在していること、また日本人の魂の強さというものを把握していました。
そして、いずれまたアメリカに牙をむくことを懸念し、それを防ぐために日本を徹底的に弱体化させる必要があると考えました。
そのためには、根幹的な精神の部分を破壊するのが一番で、それには日本人から天皇や皇室といった精神的な主柱をなくす必要がありました。その過程で天皇や皇室に関係するものはことごとくなくなっていきました。
特に祝日は天皇や皇室などと結びついたものが多く、そのほとんどが戦後の1948年に新たに制定された「祝日法」により廃止されてしまいます。そして新たに生まれたのが勤労感謝の日だったのです。
アメリカでは9月第一月曜日にレイバー・デー(Labor Day)という勤労の感謝を祝う日があったり、11月第4木曜日にはサンクスギビング・デー(Thanksgiving Day、感謝祭) という生産を祝う日がありますが、新嘗祭という名前を改めるにあたってこれら二つを参考にし、組み合わせることで「勤労感謝の日」という名前が出来上がりました。
そしてこの勤労感謝の日の趣旨が何だったかというと「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」というものでしたね。
ここにある「生産」というのはかつて新嘗祭であったことの片鱗と解釈することができます。果たしてこれは、それまで存在していた新嘗祭を忘れてはいませんよ、というアメリカのアリバイ作りなのか、あるいは占領された日本がささやかな抵抗のために「生産」という言葉を入れたのか・・・
どちらにしても悲しい歴史の変遷があったことは言わずもがなです。
今では、冒頭で申し上げたように「生産」ということばを農作物だけでなく、サービスなども含めてすべての労働者に感謝をするという風に解釈していますが、後付けな感じがするのは否めませんね。
現在ではほとんどの日本人がその存在すら忘れてしまった新嘗祭は、現在でも宮中行事として天皇陛下がされておられます。
2016年には天皇陛下が生前退位のご意向を示されたことで、改めて天皇陛下がご公務に対していかに真剣に向き合っているか、ということが注目されていますね。
その中で、この新嘗祭の存在と勤労感謝の日の本当の意味というものを知る人が増えていってくれれば幸いですね。