神戸大学海洋底探査センターが九州南方の海底に広がるくぼみ「鬼界(きかい)カルデラ」を調べた結果、マグマが活動的であることが明らかになったというニュースが入ってきましたね。
「鬼界カルデラ」とはまた物騒なキーワードが出てきましたよね。超巨大噴火を引き起こす要因ともなるという大きなスケールの話とも相まって、この鬼界カルデラというキーワードが話題になっています。
ということで、鬼界カルデラとはいったい何なのか?そもそもカルデラとは何なのかという素朴な疑問を解決していきたいと思います。
カルデラとは
そもそもカルデラとはいったい何なのか?というと、これは中学や高校の理科、地学などでちょっと習ったものの、それっきり忘れているという人も多いと思います。
カルデラというのは、火山の噴火よって火山物質が噴出されて地下に空洞が出来ることに伴って、マグマがたまっていた場所に地表が陥没することで作られる大きな凹地ことです。
つまりカルデラそのものは、火山の噴火が過去にあったことを示すだけものなのでそれ自体が特に危険を生むわけではありません。カルデラ湖などが出来たりするだけですね。
鬼界カルデラとは?大噴火の仕組みとは
鬼界カルデラというのもかなり物騒なキーワードに思えますが、どうもカルデラに付けられる名前は「阿蘇カルデラ」や「十勝カルデラ」など地名に由来するもののほか、白滝溶結凝灰岩を噴出した噴火で形成されたために作られた「白滝カルデラ」などがあったり、その名前には法則があるわけではないようです。
そして、ほとんどのカルデラの名前の由来は不明でした。
特に、九州地方のカルデラ群は阿蘇カルデラ、姶良カルデラ、阿多カルデラ、加久藤カルデラ、千々石カルデラなどがありますがほとんどの由来はわかりません。そしてそんな九州地方のカルデラ群の一つとして名を連ねるのが「鬼界カルデラ」というものです。
鬼界カルデラは硫黄島、竹島の海底に位置するカルデラです。カルデラというのは火山の噴火によってマグマが噴出されてそれにってできるくぼみですが、だからと言ってマグマが全部なくなっているというわけでは当然、ありません。それに関する調査を行い、やはりマグマが存在していることがわかった、というのが今回のニュースですからね。
マグマの規模や場所などはまだ明らかになっていないので何とも言えませんが、鬼界カルデラの噴火によって九州南部の縄文文化を滅ぼされたという過去があります。
三宅島の噴火や阿蘇山の噴火などの報道が過去にありましたが、「噴火によって町が滅びる」というほどの規模のものではなかったですよね。鬼界カルデラは、それらとは比べ物にならないほどヤバい噴火をした過去があるのです。
火山の噴火というものには様々な種類があり、それらの詳しい分類は専門サイトをご覧になったほうが早いと思いますが、その中でも地球規模の環境変化や大量絶滅を引き起こしかねないほどヤバい噴火のことを「破局的噴火」と言います。英語だと「スーパーヴォルケーノ」というらしいです。
破局的噴火のざっくりとした仕組みを説明すると、地圧によってさまざまなガスが溶け込んでいる地下マグマが何らかの原因によって減圧し、それに伴い発泡して大量のガスを噴出することでマグマ溜まりが大爆発を起こすというものです。
日本ではこの破局的噴火は7000年~1万年に1回という頻度で起きています。私たちの人生が数十年であることを考えると生きている間にこれに遭遇する確率というのは相当低いですが、地球の年月を考えるとそれほど非現実的な数字ではありませんね。
とはいえ、人類が出現してからこの破局的噴火に遭遇したというのはそれほど多くありません。そのうちの一つが鬼界カルデラの噴火なのです。
鬼界カルデラが破局的噴火を引き起こしたのは7300年前のことで、これがこれまでの地球上で起こった、最も新しい破局的噴火です。
これによって九州南部の縄文文化を滅ぼされたというのですが、何もこの影響は九州地方だけにとどまらず、東北においてもこの時の噴火による火山砕屑物が見つかっており、日本全国に影響を及ぼしていたことが伺えます。
ましてや、化学も医学も地学も何もない、何もわからない縄文時代の話ですから、この噴火になすすべもなく平伏してしまったことでしょう。とはいえこれを知ったところでどう対策を立てればいいのでしょうか?素人にはちょっと想像もつかないですね。
7000年~1万年に一度という頻度を考えればそろそろ破局的噴火が起こってもおかしくない時代にはなっているのですが、今後100年に関しては起こる確率は1%未満と言われています。
それを聞けば少しは安心というものですが、「1%未満でも0%ではないんだろう!」という意見もあると思います。ましてや日本中が滅びるかもしれない規模の災害ですから、たとえ1%未満でも十分に怖いものです。
もしかしたらこの情報を知らないほうがかえって幸せに暮らせたかもしれませんね。知り過ぎるというのも逆に不幸ということでしょう。