5月3日といえばゴールデンウイークの
初頭という楽しいイメージですが
この日が何の祝日なのか
意識している人はどれほどいるでしょうか。
この日は「憲法記念日」という祝日で
戦後の1947年、帝国憲法に代わって
新たに「日本国憲法」が施行されるに
至った日で、それを祝した休日なのです。
しかしその成り立ちや意味を
探っていくと、単にゴールデンウイークだからと
いって喜んではいられない
複雑な日本の歴史が
浮かび上がってきました。
ここでは、憲法記念日の成り立ちや
意味など調べたことを私見を交えながら
書き記していきたいと思います。
憲法記念日の成り立ち~文化の日との関連~
この5月3日というのは
当たり前ですが11月3日の半年後になります。
11月3日は、文化の日という祝日ですね。
ちょうど半年後というのは
単なる偶然ではなく、文化の日と
憲法記念日は密接な関係があり
憲法記念日を語る上でも
欠かすことができない要素なのです。
憲法記念日は日本国憲法が
施行された日であるのに対して
文化の日は日本国憲法が
公布された日 なのです。
公布、というのは実際に憲法が
適用される前に国民に周知をさせる
目的で内容を公表するということです。
特に、憲法というのは
国の方針の根幹の部分ですから
発布して即施行というわけにはいかず
間を置く必要があるためですね。
この日本国憲法はまず施行日を
5月1日にしようという案が提示されましたが
メーデーと重なり混乱が予想された
ために却下されます。
次に5月5日が考えられましたが
端午の節句が武を想起させ、
「平和憲法」のイメージにそぐわないとされ
これも却下。
そして間を取って
5月3日にしようということになりました。
そこから逆算して半年前の
11月3日に公布ということになったのですが
これは明治節(明治天皇の誕生日)
と重なり、当時日本を占領していた
GHQに却下される恐れがありましたが
幸い、この件に関しては問題ないと
判断されたようです。
GHQの日本占領は日本の国力を削ぎ
弱体化することが目的で、特にこういった
日本人と深く関わりのある「記念日」に対しては
徹底的に潰しにかかっているのが伺えます。
例えば「A級戦犯」として旧政府の人々を
起訴したのが4月29日。
これは昭和天皇の誕生日です。
そしてその「A級戦犯」を処刑したのが12月23日。
今上陛下の誕生日です。
日本人と深く関わりのある「記念日」を
わざわざ選んで日本国民の心に
負の遺産を残そうとしたのが
よくわかります。
さらに言えば、この日本国憲法ですらGHQに
一方的に押し付けられたものです。
本来なら日本国民はこれを
屈辱に感じるべきなのですが
あろうことかそれを祝日として
祝っているのですから笑えません。
それも、日本国憲法に関しての祝日が
2つもあるのですからさらに驚きです。
しかも、元々11月3日は明治節という
明治天皇の生誕を祝う祝日でした。
それが現在では「文化の日」という
なんだかよくわからない祝日に
なっているのもGHQが一枚噛んでいるからです。
それでも、この明治節と日本国憲法公布の日を
重ねることができたのは、当時の日本政府にできる
必死の抵抗だったのだと思います。
このメッセージに気づいた後世の人々が
「文化の日を明治天皇の生誕を祝う祝日に復帰させよう!」
と立ち上がってくれることを期待したのかもしれませんね。