「確信犯」という言葉があります。
字面だけを見ればものすごくおどろおどろしい言葉ではありますが、割と日常生活でもよく使われる言葉ではないでしょうか。
イメージとしては「その行為が悪いと分かっていながらなお、その行為を遂行する人」といったところでしょうか。
しかし、これは本来の「確信犯」という言葉の意味からすれば誤用という風になってしまいます。
では「確信犯」の本当の意味とはどういうものなのでしょうか?こちらでお伝えしていきたいと思います。
確信犯の本当の意味とは
確信犯という言葉には「悪いと分かっていながらその行為をする人」というイメージがありますが、これは本来の言葉で表現するならば「故意犯」というほうが正しいと言えます。
よく刑事事件なんかではその犯人が故意か過失かということが争点になったりしますが、この故意か過失かの争点がまさに「悪いと分かってやっていたかどうか」ということに尽きますよね。
では本来の「確信犯」の意味がどういうものなのかというと
道徳的、宗教的、政治的理念に基づきそれが正しいと信じて犯罪を起こす人
のことを指します。これは19世紀のドイツの法律学者であるグスタフ・タートブルフという人が刑法の用語として造った言葉です。
日本では宗教に興味のない人が多いので、この意味を聞いてもあまりピンとこないかもしれませんが、ほかの外国ではこういった確信犯の例がいくつかあります。
例えばイスラム教徒(イスラム教徒全員がそうというわけでは当然ありませんが)が起こした9.11自爆テロなどは確信犯の最たる例でしょう。自ら信じるイスラム教の教えに則り、それが正しいと確信してテロを行ったわけですからね。
もっとかみ砕いてわかりやすく言うならば、「それが悪いことだとわかっていない人」のことを指すという風に言えます。つまり、本来の「確信犯」の意味というのは今使われている「確信犯」の意味とはまったく正反対の意味にあるのです。
あるいは、もう少し日常に沿った例でいうと救急救命士が重病患者を救いたいがために法律で禁止されている治療行為を行うことも一種の確信犯と言えます。この場合はその治療行為が「違法である」と認識していながら行うのです。
日常生活においては、このケースで言うなら「患者が助かる治療法を知っていたが、面倒だったのでやらなかった」というのが確信犯と言われるでしょう。これは上で言うところの「故意犯」ですね。
これらをまとめて確信犯と呼んでしまうと不都合が生じます。
例えばさらに別のケースで「患者はこうすれば助かると確信して間違った治療を施してしまった」という場合にも「確信犯」と呼ぶことになるからです。これは「過失犯」ですよね。
最初の二つのケースを同じ「確信犯」と呼んでしまえば、その線引きが曖昧になりすべて「確信犯」で正しくなってしまうのです。なので「確信犯」「故意犯」「過失犯」は明確に分ける必要があるでしょう。
言葉は生き物であって多数決です。誤用とは言いつつも大多数が正しいと思えばそれがまかり通るというものでもあります。実際、この誤用のほうがあまりにも多くの人に使われるために辞書における「確信犯」の説明も二つあったりします。さらに言うと、本来の確信犯の意味を知っている人は3割しかいないと言います。
いつごろからこのような誤用が広まったのかは不明ですが、少なくともここ数年の出来事というわけではなさそうです。何しろ、私たち国民の代表たる国会議員たちの議論の場である国会の議事録においてさえ、昭和の時代からすでに「悪いことと分かっていながら~」の意味として「確信犯」「確信犯的」という言葉が出てきます。まあ政治家先生というのは別に国語の先生じゃないので、多少日本語が間違っていても、「未曾有」が読めなくて「みぞうゆう」という風に読んでしまっても別にいいのですがね。
ある程度、長いものに巻かれる精神というのも必要なものですが、それでもあえて間違った使い方をするというのはなかなか納得がいかないところがあります。ましてや、この確信犯という言葉は本来の意味と誤用が全く正反対の関係にあってややこしいですよね。
私自身、言葉は別に間違っていても相手に意図さえ伝わればいい、というスタンスの人間ですがこの確信犯という言葉については本来の意味で使うべきだと思います。
しかし誤用のほうが多数派として広まっている以上、本来の意味で使うほうが逆に意図が伝わらず混乱させてしまう可能性が高いというのが悩ましいところです。
それにしても、多くの人が確信犯の本来の意味について「それが誤用だとは知らず、正しいと思って使っている」その様がまさに「確信犯」の本来の意味を体現しているというのは何とも皮肉な話です。
まあ、本来は法律用語であることを鑑みれば司法の場などではきちんと使い分けるべきなのでしょうね。特に故意があったかどうか、過失があったかどうかというのが刑事責任の上では最も重要な点ですから。