「お心遣い痛み入ります」
というように、相手の親切や配慮に対して謝意を述べる際に使う言葉として「痛み入る」というものがありますね。
感謝を表す丁寧な言葉としては「恐れ入ります」というものがありますが、「痛み入る」とはどのような違いがあるのでしょうか?現実には「恐れ入ります」のほうが日常会話でもよく聞く言葉ですよね。
ということで、「痛み入ります」「痛み入る」の本来の意味について調べてみました。
恐れ入ると痛み入るの意味の違い
「恐れ入る」と「痛み入る」は共に「恐れ」「痛み」という心情の悲哀を表す言葉が使われておりますが、大枠で見るとほぼ同じ意味ということが出来ます。
恐れ入るなら、相手の好意に対して有り難いと思うどころかさらに申し訳ないと恐縮してしまうという意味になりますし、痛み入るも相手の好意や親切に対してそれが「自分などにもったいない」と感じて、胸が痛くなるほど申し訳ないという心痛を表しています。
「入る」というのは「すっかり~する」という意味があります。例えば「泣き入る」とか「寝入る」というような使い方をしますね。
恐れ入るも痛み入るも、その恐縮する気持ちや心痛を深く感じている様を意味する言葉になっているのです。この由来からすれば、恐縮するよりも「心が痛む」ほど感謝をしているということでやや「痛み入る」のほうが強い意味になるでしょうか。
言葉の漢字だけを読んで解釈するならばこのように違いはほとんどありませんが、若干ニュアンスが異なるところもあります。
「恐れ入る」は相手の優れている点に対して驚愕するという意味でも使われます。「恐れ入った!」というのはよく聞きますよね。これは「痛み入る」にはない表現です。
逆に「痛み入る」の方は皮肉を込めて「御忠告痛み入るよ」という風に使うところがあり、辞書の意味としても「相手の厚かましさにあきれる」というようなときに「痛み入る」を使うとあります。
ただ皮肉というのは往々にして本音とは裏腹の言葉を出すものですから、これが「御忠告恐れ入るよ」という風に使ったとしても不自然ではありませんね。あくまで、過去にこういった使われ方をしてきたという事例ということでしょう。
「恐れ入る」は現代でも使うのに対して「痛み入る」は現代ではほぼ死語というか、時代劇で武士が使うような言葉としての認識が広いですね。
時代劇が好きなのかな、くらいに思われるので済むならばいいですが皮肉を込めて言われた、と感じる人がいたとしたらちょっと問題です。使うべき場面を考えて言いたい言葉ですね。