「急がば回れ」ということわざがあります。
その字面から意味が予想しやすく、子供にも理解がしやすいことから色々なところで目にする、耳にすることわざでしょう。
このことわざは全てに通じる真理ではないかと思っております。これほど短い言葉で人の心に刺さるような言葉はほかにないと思いますが、一体これは誰が言い出した言葉なのでしょうか。
ということで「急がば回れ」の本当の意味や由来についてお伝えしていきたいと思います。
急がば回れの由来とは
「急がば回れ」の由来というのは、室町時代の連歌師・宗長が詠んだ
もののふの 矢橋(やばせ)の船は 速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋
という歌からきております。
これはざっくり言うと琵琶湖横断の手段のことを指しています。矢橋というのは滋賀県草津市矢橋港~大津市石場港を直線で結んだ水路で、矢橋の船はそこからでる船のこと。瀬田の長橋というのは日本三大名橋の一つである瀬田の唐橋のことです。
当時は京都へ向かうのに、矢橋から琵琶湖を横切る経路のほうが瀬田の唐橋を通る陸路よりも近かったのですが比叡山から吹き荒れる突風が危険だったことからこのように詠まれたのです。
図にするとこのような違いになります。
出典:withnews
急がば回れの意味について
ところで、「急がば回れ」について私たちが教わってきたのは
「急いで物事を成し遂げようとする時には、危険な手段を選ぶより確実で安全な手段を選んだほうが結局早い」
という意味だったと思いますが、実はこれだと本来の意味と少し異なります。
出典元のwithnewsでは、上記の経路をカヌーで移動して「回り道をしたほうが近道になるというのは本当なのか?」という実験を行っています。
それによると、結局は急いで近道をしたほうが早かったという結論になっています。(近道は一時間、遠回りは二時間と二倍ほどの差がついたようです)
もちろん、当時と今では状況が違うので所要時間の比較について一概に断じることはできませんが、この歌に込められた意味というのは時間のことだけではなく、近道を選ぶことによって起こる危険性のことを訴えているのです。
もう少しかみ砕いていえば、例え近道のように思え、実際にそのほうが短時間で成し遂げられたとしても、後々になってそのことが影響し、長期的な視点で見れば結局は安全で確実な道を通ったほうが人生にとってプラスが多い、ということを言っているのだと思います。
もし単に「時間の早さ」だけを言っているのだとしたら、急いだほうが早い場合は「結局こっちのほうが早いじゃん」と一蹴されて終わりですよね。
この「急がば回れ」の精神は私たちの生活のすべてに当てはめることができる格言だと思います。
例えば「結婚を急ぐ人」というのはよくいますね。
特に日本人というのは周囲からの同調圧力というものが強く、「○○歳までに結婚しないとヤバい」「○○歳までに出産しないと」といった「年齢」による急ぎや、「大学の同期はみんな結婚しているのに独身は自分だけ」「職場の後輩が結婚して寿退社していった」などの周囲と自分の比較による急ぎなど様々です。
そういう集団心理が働くのは仕方のないことなのかもしれませんが、最も愚かなのは「30歳までに結婚しないと!」と年齢による区切りを勝手につけることです。
29歳で出会った人で妥協して滑り込みで結婚して「やっと結婚したんだから幸せなはず」と自分を騙し言い聞かせ、毎日我慢して暮らす・・・なんてことになったら、結局は結婚しないほうがよかったんじゃないかなんてことにもなりますよね。これぞ正に「急がば回れ」の精神が必要なのです。
さらには結局離婚してしまって、気が付いたら30歳を過ぎていたなんてことになればまさに「遠回りしたほうが近かった」ということになってしまいますよね。
さて、これまで「急がば回れ」の本当の意味についてお伝えしてきたところですが、実はこの言葉に対して個人的に懐疑的な思いもあります。
結局、こういう格言めいたものというのは後付けでどうにでもなるものです。例えば10代のうちから結婚相手を探し続けて、20代前半で玉の輿に乗ることに成功した、みたいなケースだったらその人はしたり顔でこう言うでしょう。「時は金なり」と。
「急がば回れ」「時は金なり」どちらも物事の真理を現したいい言葉ですが、一緒に並べると途端にダブルスタンダードになってしまいます。どちらも正しいのですが、そのどちらもすべての物事に当てはめることができる万能な存在ではないということなのですね。
なので、こういった格言に心動かされたからといって今日からすべて「急がば回れ」でやるというのも融通の利かない話です。
じゃあどうしたらいいのか、という問いに対する唯一の答えは「自分が本当にしたいと思うことをする」に他ならないでしょう。
「急ぎ」は正確な判断を鈍らせます。それは本当に自分がしたいことなのか?単に周囲との比較からくるものと勘違いしてはいないか?ということを落ち着いて考えるといいでしょう。