女性として二人目の防衛大臣への就任が決まっている稲田朋美元政調会長。
女性初の防衛大臣に就任したのは、東京都知事選挙で圧倒的民意に支えられて都知事になった小池百合子氏ですね。イギリス首相、東京都知事、と女性リーダーが誕生していく時勢ですから、その流れに乗るような女性の重要ポストへの起用で、安倍首相の寵愛を受けているなという印象を感じます。
おそらく、今回の内閣人事をきっかけに稲田朋美防衛大臣はこれから大きく邁進して、女性初の総理大臣への道も見えてきた感じですね。
そんな稲田朋美防衛大臣ですが、若いころが綺麗だったと話題になっているようですね。もちろん、現在でもだいぶお綺麗なわけですから若い頃はどんな美人だったんだろうとつい想像しちゃいますよね。ということで調べてみました。
まずは稲田朋美さんの経歴から見ていきましょう。
稲田朋美さんは1959年2月20日、福井県越前市生まれ。大学は早稲田大学法学部卒業で卒業後の半年後、1982年に司法試験に受かって弁護士になっています。
その後、1989年に弁護士の稲田龍示氏と結婚します。
夫の稲田龍示氏は稲田朋美さんと同い年で同じ早稲田大学出身です。元々大学時代に知り合って交際していたのかもしれないですね。現在は大阪の弁護士法人・光明会で社員弁護士として働いています。
その後子供が出来たために弁護士はやめてしまったそうです。司法試験のために1日16時間勉強して弁護士になったというのに、あっさりやめてしまうんですね。
元々弁護士になったのも、当時は男女雇用機会均等法がなく男女の格差が激しいために一般企業では就職先がなかったという理由があるようですし、そういう男女の格差を身をもって体験してきた稲田朋美さんだからこそ、こうやって女性として内閣の重要ポストに就くのは意味があることと言えます。
ちなみに、子供は二人いて男の子と女の子で、共に成人しているようです。
政治家になるには、政治家の家に生まれる、官僚になる、テレビで知名度を上げる、そして「弁護士になる」という方法などがありますが、稲田朋美さん自身は政治には全く興味はなかったそうです。まあ、弁護士になったきっかけも就職先がなかったからという理由ですしね。
なぜ政治の世界に入ることになったのかというと、産経新聞の「正論」というコラムがきっかけだったようです。それを見るにつれて「日本の教育はおかしいんじゃないか」と思うようになりました。
というのも、「南京大虐殺」というありもしないでっち上げを学校で教えていますよね。その中でも「日本人が100人斬り競争」を行ったという報道がされているのを見て、嘘で日本の名誉が毀損されている、と思ったんだそうです。この辺りはやはり弁護士としての視点がありますよね。
そしてその「100人斬り競争が嘘である」という内容の講演を自民党本部でする機会があり、これが安倍首相の目に留まりスカウトされて政治家への道を歩み始めました。この講演がなんと、あの郵政解散があった2週間前の出来事らしいです。郵政解散は2005年で、現在までに2009年、2012年、2014年の衆議院総選挙で落選することなく4期、議員を務めています。
安倍総理からの直接スカウトということで、安倍総理の寵愛を受けているのも納得というものです。
そんなわけで、2005年から4期衆議院議員を務めているので政治家としてはそろそろ中堅どころに入るものの、公職に就いた年数で言えばまだ10年ちょっとくらいですから、あまり若いころの写真というのも残っていないんですよね。それまでは私人ですから当たり前です。政治家や芸能人の家の生まれというわけではありませんしね。
そんな中で、これが最も若い頃の写真ではないかというものを入手しました。
これでもおそらく、30代~40代くらいのものだと思います。やはり若い頃からかわいいという感じですね。ちなみに眼鏡はしておられないですね。いつも付けれるのはダテメガネです。閣僚になってから眼鏡をトレードマークにするようになりましたが、自民党が野党だった時代の答弁などでは眼鏡はしていませんでしたしね。