「あの人はユーモアがあるね」
「ユーモアセンス溢れる・・・」
こんな風に、日常会話でも割りとよく使う言葉に「ユーモア」というものがあります。
そして「自分にはユーモアがない!」という悩みを抱えて「ユーモアセンスを磨く方法」だとか「ユーモアのある人の特徴」なんて検索をされている方も多いようです。
確かに、どんな場面の会話でもユーモアたっぷりに話している人というのは羨ましいですし、頭の回転も良さそうに思えます。何よりもそういう人は男女問わずにモテます。少なくともユーモアがあるかないかでは、ある人のほうが人間として魅力的なのは間違いないですからね。
そんなわけでこの「ユーモア」を手に入れたい!と切望する人が多くいらっしゃるわけですが・・・じゃあそもそも「ユーモア」とは一体何なのか?そこから考えてみたいと思います。
実は「ユーモア」を英語で言うとhumour。いくら英語と日本語で発音が違うからといっても「h」をそのまま発音しないって、結構言葉が違いますよね。
ということでこちらでは「ユーモア」とは何なのか?その意味や由来についてお話していきたいと思います。
ユーモアの由来とは
元々ユーモアとは、humourそのままの「フモール」というラテン語の医学用語が由来になっており、これは「体液」とか「湿気」といったことを意味する言葉でした。現在のユーモアの言葉のイメージとは似ても似つかないような言葉ですね。
これがどうして現在のユーモアの意味に変わっていったのかというと、古代ギリシャの医者であるヒポクラテスが提唱した「四体液説」がきっかけとなりました。
四体液説というのは、人間の体というものが「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」という四つの体液から成り立っており、この四つのバランスが変わることによって体調だけでなく心の内面の変化をも意味するようになりました。
さらには良い・悪いに関わらず調子の変わった人物のことを意味するようになりました。「気質」というのが最も意味が近い言葉でしょうか。要するに人が元来から生得的に持つものといったところ。
ルネッサンス時代には文芸批評家たちが医学用語としての「ユーモア」を美学としての意味づけて使うようになりました。元々別分野で使われていた言葉を比喩的に使うというのは現代でもあることですね。「テンパる」なんかは元々麻雀用語ですしね。
そして、エリザベス王朝時代の喜劇作家ベン・ジョンソンが描いた登場人物はその強烈な「気質」により常識外れな行動を取ってそれが滑稽さを生み出していたことから、おかしみや滑稽さを意味する言葉として「ユーモア」は現在にも定着しています。現在のような意味で使われだしたのは一八世紀からだったんですね。
体液から気質、滑稽さということで敬意だけを見ればかなり飛躍しているようにも思えますが、このあたりは長い時間の変遷とともに変わっていった言葉なので、時間軸をすっとばして見る私達にとっては不自然に思えてもその時代を生きる人達にとってはそれが普通だったのでしょう。
とにかく現在では「人を和ませるおかさ」という意味で使われている言葉ですね。
「ユーモアがある」は褒め言葉なのか・・・
「ユーモアがある」という分だけを見ればどこにもマイナス要素はなく、単純な褒め言葉に思えますがこれを実生活で使うとなるとまた話は別です。
つまりその言葉が使われる前後の文脈というものによっても意味は変わってくるということです。
そもそも、笑いが起きている場合とか面白いことを言っている場面に遭遇した場合には「面白~い!」とかもっとくだけて「ウケる~!」というのが日常で使われる言葉ですね。
本当に面白い時には「君、ユーモアがあるね」なんて言わないはずです。私の想像ではこれ言ってる人はおそらく真顔です。
これは、変な行動をした人とか変わった人に対する少し皮肉めいた嫌味という意味で解釈するのが最もしっくり来ます。「君、頭おかしいんじゃないの?」とストレートに言うのではなく褒め言葉のように遠回しに言う表現が「ユーモアがあるね」なのではないでしょうか。
「あだ名芸」で再ブレイクした有吉弘行は、世界のナベアツ(現在は桂三度)に対して「少しユーモアのある普通の人」というあだ名をつけていました。そしてナベアツ本人も結構嫌がっていましたね。プロのお笑い芸人の中でも「ユーモアがある」という表現はどこか、皮肉っぽい意味が込められているという共通認識があるのかもしれません。