「引っ張りだこ」という言葉があります。
大人気であちこちから声がかかるというようなイメージの言葉ですが、普通に過ごしていてもなかなかこの「引っ張りだこ」という状況に遭遇することはそうそうないでしょう。
超ブレイク中の旬の芸能人か、ものすごくモテるという人にこそふさわしい言葉です。一般人には縁のない話ですね。
とはいえ、何の拍子で「引っ張りだこ」になるのかわかりません。もし自分が「引っ張りだこ」の状態になった時のことを考えて、そもそも引っ張りだこのたことは何なのか?その由来・意味・語源について知っておくのもいいかもしれません。
引っ張りだこのたことは何なのか?意味・由来・語源
日本語における「たこ」というのは、足が八本ある海の生物である「蛸」か、お正月に大空に放つ「凧」の二つがまず思い浮かぶと思います。
じゃあ引っ張りだこのたこは何なのか?どっちのたこなのでしょうか?
どちらかというとお正月のたこのほうが「引っ張る」という動作がしっくりきますよね。糸を引っ張って大空に放つのが凧ですから。しかしこのたこというのは、海の生物のほうのたこになります。
たこというと、引っ張る前に自ら四方八方にその吸盤を使って吸着してくる生き物ですが、これはたこの干物を作る際に足を四方八方に広げる様を例えたものです。
この言葉が生まれた当初ははりつけの刑や罪人を表す意味を持っておりました。というか、本来の引っ張りだこの意味はこちらのほうが正しいと言えるでしょう。
しかしいつしか、多くの人が争って自分のほうに引っ張り入れるという様子になぞらえ、皆に求められる様を表す意味の言葉へと変わっていきました。
よく考えてみれば蛸が引っ張られている姿というのはあまり趣味の良いものではないですよね。
それと罪人が磔にされているところを照らし合わせて「引っ張りだこみたいだな」と言ったわけですから、罪人の命も蛸の命も軽んじている、なかなか残酷な表現だと思います。
ましてや、蛸は何の罪もなく捕獲されて吊るされているだけなのにも関わらず「罪人」と関連付けられてしまうのですから。
それが時間が経つと本来の意味も忘れ、言葉が一人歩きすることでその残酷さを打ち消してしまうという怖さすら感じますね。
一応、辞書においても引っ張りだこの意味として
1.人気があってあちこりから求められること
2.磔の刑
という風に二つの意味が乗っています。罪人と人気者ではまるで正反対の意味ながら、その相反する二つの意味を含み、さらに新しくつけられた意味のほうが先に説明されているというのは面白いですね。
まあ、江戸時代などでは日本でも普通に行われていた「磔」の刑も、現状の日本国憲法においては「残虐な刑罰」というのは禁じられており、せいぜい聖書のイエスの話で耳にするくらいでしょう。となると磔の意味は通じなくなり、もっぱら人気者を表す言葉になっていくのは必然です。
通常、まったく正反対の意味をもつ言葉というのは使いどころが難しく誤解を生みがちです。
例えば「煮詰まる」という言葉は本来は「物事が収束へと向かう」という意味なのですが現代ではその逆の「進展が見込めない」という意味で使われることが多いですよね。こういう言葉は本来の意味で使っているのに誤解を生んでしまいます。
しかし「引っ張りだこ」に関しては現代において「磔の刑」が日常会話において出てくる機会がほぼないためその心配はありませんね。
これから先、「引っ張りだこ」の本来の意味のほうはどんどん忘れ去られると思いますがそれも時代の流れということでしょうがないことなのでしょう。
ちなみに日本では戦国時代から始まり、明治時代までこの磔の刑は行われていたようです。
この語源からすれば引っ張りだこというのは「蛸」なのですが、その糸を引っ張る様子からも「引っ張り凧」でも通じるとしてそのような表記をするところもあります。
これは本来の「引っ張りだこ」の意味からすれば誤用なのですが、前述のように何の罪もない蛸が罪人を表す表現として残るくらいなら「凧」のほうがいいのかもしれません。
しかしこの引っ張りだこという言葉、言いえて妙だとは思うのですが実際にあちこちから引っ張っているというのはあまり目にしませんね。
昔の漫画だったら一人の男性を取り合う二人の女性が、左右に分かれてそれぞれ腕を引っ張り合って男性が「痛い痛い痛い!」なんて言っている絵面があったものですが・・・
実際の「引っ張りだこ」はこのように、二人の男性が一人の女性を取り合うというケースのほうが多いことでしょう。