謝罪の挨拶「ごめんなさい」は幼少から教わり、生涯にわたって使用する言葉ですね。
「すみません」「すいません」よりは少しフランクで、カジュアルな場面や親しい人に向かって使う、コミュニケーションの潤滑油としての役割を果たしていますね。
この言葉を発することは「自分に非がある」ということを認める、ということでもあるのでそれを言うだけでも相手の受け取り方は結構変わるものですが、プライドの高い人はこれを言うことを憚るのでうまくいかないですよね。
軽々しく「ごめん」とすぐ謝るのもちょっと、という気もしますが素直に謝れる方がずっと気持ちいいものですよね。
ごめんなさいの「ごめん」は漢字で書くと「御免」という風になり、こうなると武士が使う「切捨御免」だとか「天下御免」という言葉を連想させます。
元々の「御免」とはいったいどういう意味があるのでしょうか?その由来や語源について探ってみることにしました。
御免(ごめん)の意味とは
「御免」は鎌倉時代から使われている表現です。
「免除」「免責」といった言葉からも分かるように、「免」という言葉には「許す」という意味が込められています。
そして「御」という言葉は尊敬の接頭語として「御好意」「御馳走」と言った具合に様々な言葉に尊敬語としての意味を加えるために使われております。
つまり、許しを請うときに相手に対して尊敬の念を込めて言うのが「御免」であり、現代で言うなら「お許しください」といった感じになりますね。
ここに「してください」という意味の「なさい」を付け加えたのが「ごめんなさい」という言葉になります。こちらの方が文法としてはより「お許しください」に近づいていると言えるでしょう。
この由来からすれば、「ごめんなさい」はかなり相手を敬った表現で、むしろ「すみません」よりも丁寧な印象を受けますね。
「すみません」の方はどんな意味なのかというと、「謝ったところで済む話ではない」という意味で「済みません」と言っており、謝罪の意があることは十分に把握できますし、スケールの大きい話になってはいるのですが具体的にどう落とし前をつけてくれるのか、ということを言っているわけでもなければ「御免」のように相手を敬った表現を使っているわけではありません。
しかし不思議なもので、現代では「すみません」のほうが「ごめんなさい」よりも、よりフォーマルな場にふさわしい謝罪の言葉として定着していますね。
さて、「御免」の意味を深く知っていくと、これに付随する言葉も何となく意味が分かるようになってきます。
切り捨て御免の意味とは
武士が「切り捨て御免!」といって刀を振り下ろす場面が漫画やドラマなどのフィクションで見られますが、これは何も「これから切ること」を謝っているのとは少し異なります。
武士が非礼を働いた農民・町人などの身分が低い者に対して切りながら言う言葉ですが、これは許しを請う対象が違います。農民・町人に対してではなく、「幕府」に対しての許可、という風に受け取るのが正しいです。
というのも、切り捨て御免というのは武士に与えられた「殺しても構わない」といういわば殺しのライセンスのようなもので、それはつまり「切り捨てることを御上から許された」ということで「切り捨て御免」なのです。
つまり「切り捨て御免!」といって切り捨てるのは「切っちゃってごめんね」などと謙遜したものではなく、「俺は御上からお前を切ることを許されてるんだ!」という傲慢な叫び文句だったのです。
もちろん、何の罪もない者を自分勝手に切り捨てるようなことがないように、非礼を働いた事実が本当に存在するのかどうかが厳しく調査されて虚偽と分かれば切り捨てた武士に対して切腹処分を求められたそうです。
町人や農民だけでなく、悪人を切り捨てる際にも「切り捨て御免!」は使われていたと思いますが、この由来を知れば「なんで悪人を切って謝るの?」という疑問があった人も納得ですね。
具体的にどのような行為が武士に対しての「非礼」に当たるのかというと、武士に対して故意的に攻撃を仕掛けた時や仕事に対しての妨害行為があった時などのようです。
天下御免の意味とは
天下御免という言葉の意味は、これまの「御免」の意味と合わせて解釈するなら「天下に許された」ということになりますね。
天下、つまり全世界です。「天下に号令」「天下無双」という言葉からもわかります。
全世界の人間、もっと端的に言うなら「世間」に認められている存在が「天下御免」です。ここから転じて、周りに気を遣わずに自由にふるまうことが許されていることを指します。
全世界が認めた公然の存在だからこそ、「おうおう、こちとら天下御免の○○じゃ!」といった風に堂々と、偉そうな物言いの時に使う表現というわけなんですね。