NHKの連続テレビ小説で「朝が来た」でブレイクした俳優のディーン・フジオカさんですが、そもそも根本的なところで「ディーン」って一体何なのでしょうか?
昨今では、芸能界というのはハーフタレントがいっぱいいて、変わった名前が実は本名ということがよくありますが、このディーン・フジオカさんの場合は一体どうなのでしょうか?
気になったのでディーン・フジオカさんの名前の意味や由来などについて調べてみることにしました。
実はディーン・フジオカさんの本名は藤岡 竜雄という名前で、当初は本名で17歳の時にジュノンボーイに出場してファイナリストにまで残ったという経歴があります。
つまりディーン・フジオカという名前は芸名ということになりますね。
ディーン・フジオカさんはいわゆる「ハーフタレント」の一角ではあるのですが、お父さんが中国人でお母さんが日本人という私たちが「ハーフ」と聞いて想像する、黄色人種と白人のハーフではありません。共にアジア人ということで、見た目は日本人と全く同じなんですね。
ジュノンボーイコンテストは15000人の中の6人に選ばれるというところまで行ったのですが、「芸能界に興味がないから」と断ってしまったそうです。
というのも、ジュノンボーイコンテストに応募したのは本人の意思ではなく、妹が勝手に応募したからなんだそうですね。
さて、この「姉(妹)が勝手に~」「友達が無断で~」というのはよく聞きますが、本当にそうなのでしょうか?
「どうしても受かりたくて必死になってました」よりは、私興味ありませんよみたいな顔してたら受かっちゃった、というエピソードのほうが天才肌っぽくてタレントとしての格が上がるように思えますね。なので多少話を盛っているところはあると思いますが、ディーン・フジオカさんの場合はどうでしょうか。
実は、ディーン・フジオカさんの妹というのがチェキっ娘の藤岡麻美さんなのだそうです。
しかし、ディーン・フジオカさんがエントリーしたジュノンボーイコンテストは1997年で、チェキっ娘のデビューは1998年です。「チェキっ娘メンバーの兄」という肩書きが面白そうだから選考に残ったという可能性も考えたのですが時系列から合いませんね。
とはいえ、これは「妹が勝手に送った」というエピソードを裏付ける間接的な証拠ではあるでしょう。少なくとも妹は芸能界に興味があり、だから自慢の兄を勝手に送り出し、その翌年に自身もチェキっ娘としてデビューを果たした、となると辻褄が合います。
ともかく、ディーン・フジオカさんは「芸能界に興味がないから」と断り、ここでは芸能界デビューには至りませんでした。
高校卒業後も芸能界入りの気配はなく、アメリカのシアトル大学に留学してITを専攻していました。
これは日本ではなくアメリカでITを学べばビルゲイツのようなすごい人物になれるんじゃないか?と思ったからなんだそうです。わりと感覚で動いてるタイプのようですね。
あと花粉症がひどくて「花粉のない海外へ行きたかったから」とも話しているようです。なんともおおざっぱな理由です。
そして23歳の時にバックパッカーとしてアジアを放浪し中国・北京から始まりベトナム。カンボジア、タイ、香港などを回っていたそうです。
香港に滞在しているときにワンチャイというところのクラブイベントで本場アメリカで練習してきたラップを飛び入りで披露したところ、ファッション誌の編集者から「モデルやらないか?」と声をかけられたのだそうです。
せっかくラップを披露したのに見られていたのはそのフェイスだけ!というのも何とも悲しいですが、芸能界に興味がないはずのディーン・フジオカさんはどうしたか。
なんとこの誘いを受けたそうです。理由は「貧乏バックパッカーでお金がなかったから何でもやろうと思った」からだそうです。
こうして、海外を転々としているうちに香港からディーン・フジオカさんの芸能活動はスタートしました。
香港となると、ディーン・フジオカさんは現地の人から見れば外国人というわけですから、ただでさえスタートダッシュは芳しくないところに競争に打ち勝っていかなければならない厳しさがあります。
そこで、単なる本名ではなく現地の人に覚えてもらいやすい芸名をつけようと考えられたの「ディーン・フジオカ」でした。
ディーンというのは、広東語の「癲」という言葉に発音が似ていて、これは「クレイジー」という意味を持つのだそうです。つまりディーン・フジオカさんは「クレイジー藤岡」ということなのですね。これは確かに、こんな名前の芸能人がいたら一発で覚えられそうです。
これは日本語以外にも広東語、北京語、台湾語、インドネシア語という多種多様な言語を取得しているディーン・フジオカさんだからこそ思いつく芸名でしょうね。