11月3日は文化の日という国民の祝日です。
文化の日の趣旨というものは「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」ということなのですが、何だか聞こえは良いけれども具体的に何を祝えばいいのかわからない祝日ですよね。
例えば他の祝日であれば、海の日なら海に感謝する日、敬老の日ならお年寄りを大事にする日、と言った具合にその深い意味は知らなくとも、字面だけである程度予測ができるものです。
しかしこの文化の日はその趣旨を聞いてもなお、具体的に何をする日なのか全くわかりませんね。おそらく、文化の日がいつなのかということも朧な人が多い、最も存在感のない祝日と言えるでしょう。
多くの人にとっては、その祝日が何を祝う日なのかということはどうでも良いでしょう。ただ休みが増えるというだけで喜ばしいことですからね。
いったいなぜこんなに存在感のない祝日が出来上がったのか?文化の日や由来、歴史などをお伝えしたいと思います。
文化の日の由来と歴史
文化の日のがいつなのかということも定かではないという人もいると思いますが、改めていつなのかを明記しておくと11月3日です。
実は11月3日というのは明治天皇の誕生日であり、かつては天長節という、明治天皇の誕生日を祝う祝日として存在していました。
現在でも今上陛下の誕生日は天皇誕生日として祝日に制定されておりますね。
明治天皇が崩御されれば、当然天皇誕生日(天長節)も日付が変わるわけですが、明治天皇の誕生日を祝日にしたいという国民の声が非常に多かったため、昭和2年、明治から数えれば明治60年になるという節目のこの年に明治節という祝日が制定されました。
しかし日本が戦争に負けると、日本を占領したGHQは様々な手段で日本の国力弱体化を計ったのですがその一つとして神道や天皇に関わるものを徹底的に廃止しました。
GHQの最高司令官であるダグラス・マッカーサーは戦後日本を統治する中で、日本人の精神の根底の部分で天皇というものが占める重要度というものを把握しておりました。と同時に、日本人の団結力、魂の強さというものも感じていました。
天皇制度を残しておけばいずれまたその強い団結力で米国に牙をむくことが予想されたので、そうさせないために土台の精神の部分から弱体化を図ったのです。
天皇を戦争の戦犯として裁かなかったのは、処刑すれば日本人の米国に対する強い反発は免れず、日本を支配することが困難になるためです。それほど日本人の中に天皇というものが強く存在していたわけですね。
そんな時代背景があったわけですから、明治節などというもろに天皇に関係する祝日は捨て置くことができず、戦後に廃止されてしまいます。
明治節以外にも、かつての日本の祝日というものは日本独自の文化を反映したものや天皇に関するものが多かったのです。例えば秋分の日は昔は秋季皇霊祭という秋の収穫を祝う日でしたし、勤労感謝の日は新嘗祭(にいなめさい)という新穀を供えるお祭りの日でしたが、明治節と一緒に葬られてしまいます。
いずれも宮中祭祀として現在も行われており、天皇陛下のご公務の一つなのですがそれほど大々的に報道されるわけでもなく、かつて国民の祝日として存在していたのにずいぶんと隅に追いやられてしまったものです。
これらの祝日が廃止された後、まだGHQの統治下にある1948年に新たに祝日法というものが制定されて現在にも続く様々な祝日が生まれました。この時に制定されたものの一つが文化の日です。
文化の日の趣旨は「自由と平和を愛し文化をすすめる」という意味がよくわからないものだということは冒頭でお伝えしましたが、なぜかというとこれは11月3日が「日本国憲法を公布した日」であって、それを祝日にした、という由来があることが理由です。要は後付けなんですね。
そもそも現状の日本国憲法というものも、GHQによって一方的に押し付けられた日本の主体性のない憲法ですから、これを記念日にするというのは結構な屈辱なはずです。しかし明治節も忘れてしまった日本人は、「文化をすすめる」という意味の分からない祝日をありがたがっているというわけです。
ここで思い浮かぶのが、日本国憲法に関する祝日といえば「憲法記念日」があるということです。しかし憲法記念日は5月3日です。
文化の日と憲法記念日の違いは
文化の日 ・・・日本国憲法を公布した日
憲法記念日 ・・・日本国憲法を施行した日
というものです。施行は新憲法がその効力を発揮する日ですが、公布というのはあらかじめ周知をするために公表した日ということです。
憲法となると、その国の指針の根幹の部分になるわけですから、いきなり施行ということはせず、公布して周知させることで混乱を防ぎます。公布から施行までの期間は少なくとも半年が必要とされており、この文化の日は11月3日で憲法記念日は5月3日と、ちょうど半年離れた日付になっています。
これは、かつてGHQ占領下にある日本政府が抵抗するために、またどうしても明治節と関連したものを残しておきたいという意図があったのです。
最初は、11月3日を憲法記念日に制定したいという意図があったようですね。さすがに、戦後間もない時期にこれでは天皇を連想させるためにGHQに却下されてしまいましたが、「公布日」という形で残りました。
その意志は、こうして文化の日の由来を調べ「GHQ憎し」と思っている私たちに受け継がれているというわけですね。
日本人が強く望んだ祝日に「昭和の日」というものがあります。これはとりもなおさず昭和天皇の誕生日です。かつてはみどりの日と呼ばれていましたが、紆余曲折あって日本人の強い要望によって昭和天皇に関する祝日が作られたのです。
これと同じように、「文化の日」などではなく「明治の日」になることが望ましいですね。