感謝の言葉「有難う」は、老若男女の誰しもが気軽に使うことが出来る、コミュニケーションにおける潤滑油ともいえる重要な挨拶と言えます。
本来は、感謝の意を伝える時に言うべき言葉ですが、あまりにもこの言葉が世の中に浸透しすぎて「相手に何かしてもらったら言うのが当然」とでも言いたいのか「○○してやったのに『有難う』も言えないのか!」などとお門違いで恩着せがましい事を言う人がいる一方で、ファストフードの店員のように何でもかんでも「有難う」を言い過ぎて言葉に込められた重みがなくなっているという問題もあります。
あまりにも使われ過ぎて意味が陳腐化している昨今ですから、改めて「有難う」の本来の意味や語源・由来などを知って言葉に重みを持たせたいところですね。というわけで、「有難う」の意味・語源・由来についてお伝えしていきたいと思います。
有難うの語源・意味・由来
「ありがとう」という風にひらがなで表記されるのが一般的と言えますが、漢字で書くと表題にあるように「有難う」という風になります。
元々は、読んで字のごとしの滅多にない、珍しくて貴重だ、という意味の「有り難し」という言葉でした。
「有り難し」とか「有り難き」といった言葉自体の歴史は古く、平安時代の随筆「枕草子」において「ありがたきもの」というのがありますが、これは上述の「滅多にない」という本来の意味に近く「この世にあるのが難しい」という意味で使われておりました。
じゃあこの時代に感謝の意を伝える時は「有難う」とは言わずになんと言っていたのかというと「かたじけない」という風に言っておりました。これは平安時代の書物である源氏物語、竹取物語においても使われている表現です。
これが感謝の意を伝える言葉として使われ始めるのは室町時代からです。といっても、当初はやはりそのままの字の意味で、神仏の慈悲によって貴重で得難い物を得た時に神仏への感謝を込めて「有り難きことでございます」「有り難く存じます」といった具合に使うようになり、いつしか感謝の言葉となっていったのです。
なぜこの言葉が「有難う」という風に「ウ」で締めるようになったのかというと、実はこういった形への言葉の変化というものは他にもいくつかあり、例えば「高く → 高う」「久しく → 久しう」「嬉しく → 嬉しう」といった具合ですね。
こういった「ございます」「存じます」に続く言葉を「ウ音便」で締める形が用いられ、「有難うございます」という風になり、さらにそこから「ございます」が省略されてより簡素な形になったのが「有難う」というわけです。
こういった大衆化により、元々は「神仏への感謝を伝える」という厳かな言葉であったのが神仏だけでなく人間に対しても使われるようになっていったのですね。それ故に「ありがとうを人に強要する」あるいは「軽々しく使いすぎる」という現状が生まれたというわけですが。
ましてや、「有り難い」というのは本来は「滅多にない事」に対して感謝する、というのが本当の意味と言えます。なので軽々しく言ってしまえば、それはもはや「よくある」ことであって全く「有り難い」ことではないのです。このことからも「ありがとう」を相手に強要することが全く無意味な行為だということはお分かりになるでしょう。
そして「有難う」の本来の意味を知れば、その反対語もおのずと理解できるようになります。「有難う」は滅多にない事ということですから、その反対はよくあること、つまりあって「当たり前」ということです。
面白いのは、現代においても
「ありがとうございます」
「(そんなことをするのは)当たり前じゃないか!」
と、一連の会話が成立するということです。「有難う」と言われてなんて返したらいいのか逆に困るという人もいると思いますが、実はこの切り替えしが最適なのではないでしょうか?
ちなみにポルトガル語の「オブリガード」が語源になったという説もあるようですが、これは俗説です。まあポルトガル語が語源になっているのはカステラ、パン、コンペイトウなど色々ありますから、この説が正しいように思えるのもある意味仕方ないことなのかもしれません。