私たちがよく純日本生まれと認識しているものは意外と外国から輸入されたもの、ということが多いです。

 

「和食」でもそれは結構多く、例えば天ぷらはポルトガル産です。味噌も中国産ですし、お米ですらも元々は中国から発祥したもの。まあそれは日本列島の位置関係が極東にあるということも関係しているのでしょうけどね。

 

そして、私たちの食卓を彩る「豆腐」もその一つというわけです。

豆腐

 

なんだか、すべてのものが元々は外国発祥となると少し悔しい気もしますが、日本人というのは元々、外国から取り入れたものを独自の文化として消化する民族です。例えばカレーやラーメンも日本独自の進化を遂げて現在ではオリジナルのものとなっているわけです。

 

10月2日は豆腐の日ということですから、この豆腐の由来や歴史といった雑学について調べてみようと思いました。

 

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豆腐の歴史

豆腐が生まれたのは紀元前二世紀の中国とされています。今から二千年以上前という歴史を持つ食べ物なんですね。当時は「漢」という国名で、16世紀の中国の書「本草綱目」の中に〈豆腐は、漢の淮南王劉安に始まる〉と書いてあることが由来になっています。

 

しかし、この16世紀に書かれたものに反して、文献としての豆腐は7世紀の唐の時代まで存在しないことから確かとは言えなさそうです。劉安の自署にも豆腐に関して一切言及がないことからもちょっと無理がありそう。それでも1000年以上前ということですから歴史はかなり古いですけどね。

 

三国志演義にもあるように、史実を脚色するのが好きな国なのかもしれませんね。

 

日本に豆腐が輸入されたルーツ

 

豆腐が日本に入ってきたルーツというのも、実は定かではなく色々な説があるようです。その中でも最も古いのは奈良時代から平安時代にかけて遣唐使として中国に渡った僧や学者からもたらされたという説。

 

しかし、奈良時代から平安時代の文献にはほとんど豆腐に関しての記述が存在しません。もし豆腐の作り方を中国から輸入したのなら、いわゆる「レシピ」みたいなものが一つくらいは残っていそうなものですよね。学者が中国に行ったのならなおさらです。

 

実際に文献として登場する最も古いものは、平安時代の末期でそろそろ鎌倉時代へと移行しようという1183年に記された奉献御菜種」の中の「春近唐符一種」というものです。

 

文献としての登場で最も古いのがこの年なので、実際に作られたのはもう少し古いでしょうが平安時代の末期というのが実際のところでしょう。

 

これ、「日本豆腐協会」という、いわば豆腐のスペシャリストのHPを参考にしたものなので、豆腐の素人である管理人はこれ以上探りようがないですね。まあ私たちの感覚としては奈良時代だろうと、平安時代だろうと、江戸時代だろうと、数百年以上昔というのは変わらないのでそこまで気にするようなことではないのかもしれません。

 

元々は僧たちの精進料理としての意味合いが強かった豆腐。これは殺生を禁止されて肉や魚などが食べられない僧たちにとっての貴重なタンパク源であったことがあるようですね。あるいは、貴族などにしか食べられない貴重な食べ物で、一般庶民の食卓に並ぶのはもう少し先のことです。

 

 

豆腐が一般庶民たちに広まったのは江戸時代です。

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江戸時代

しかし江戸時代の初期にはまだ一般庶民たちには貴重な食べ物で、冠婚葬祭や正月、お盆などの特別な日にしか食べることが出来ませんでした。

 

1694年の徳川三代将軍家光によって出された「慶安のお触書」では、豆腐の製造を禁じられています。これは豆腐が贅沢品であったことの証です。現在ではちょっと考えられないですね。まあ、今は国内での大豆は国産大豆と比較して輸入大豆が圧倒的な量を占めるため、それで豆腐の生産が容易になっているという理由もあるのでしょうが。

 

一般庶民に豆腐が浸透するのは江戸時代も後期に差し掛かった1780年代です。

 

これは当時、豆腐の料理本が大ブームになったことが原因で、1782年に「豆腐百珍」、1783年に「豆腐百珍続編」、1784年に「豆腐百珍余禄」と、次々に豆腐の料理本が出版されたのです。

 

こうして一般庶民に広まっていった豆腐は、現在でも低カロリー高タンパクな健康食品として愛され続けているというわけです。

 

納豆と豆腐の語源

 

同じ大豆から作られる健康食品といえば納豆が真っ先に思い浮かびますが、よく考えると豆腐と納豆って、言葉が逆の意味のように思えますよね。

納豆

だって、納豆なんてまさに「豆が腐った」ような食品ですしね。そして豆腐自体も、大豆の煮汁である豆乳ににがりを入れて凝固させて作るわけですがその際に「箱に納めて」作るものです。

 

これは、①言葉が途中で入れ替わってしまった 説と②本来の言葉の意味である 説の二つがあるようです。

 

①に関しては、豆腐と納豆を中国から輸入した際に、それぞれが箱に入っており、「豆腐」「納豆」という張り紙が貼ってあったのですが風によってはがれてしまい、どちらかわからなくなって逆に貼ってしまい、現在の名前になったというもの。

 

真実ならなんとも間抜けな話ですが、この話には決定的な「証拠」というものが抜け落ちているのです。つまり、「張り紙を逆にしてしまった」という文献がない限りは、ただの俗説の域を出ないのです。そもそも、そんな文献がもしあるならば直せよって話なんですが。

 

発展途上国なんかではありそうな話ですが、日本人の几帳面な国民性を考えてもちょっと信じられないですよね。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を大事にする日本人がこんな単純な伝言ミスをするのかというと甚だ疑問です。

 

②に関してですが、これは確かな証拠があります。そもそも「豆腐」という言葉自体、中国でも使われていた言葉をそのまま日本でも使っています。中国では「腐」という漢字には腐るという意味ではなく、液体に近い固体のことを「腐」という意味で用います。例えばヨーグルトは「乳腐」という漢字で表すようです。まあヨーグルト自体が腐ったようなものじゃないか、と言われると確かにそうなのですが・・・

 

とはいえ、そういう意味で「腐」という漢字が使われているのは事実です。

 

じゃあ逆に納豆の由来は何なのかというと、元々は寺院で作られたのが納豆で、寺院の台所を「納所」と呼ぶそうなんですね。元禄時代の『本朝食鑑』に書かれているということですから、文献に確かに記述があるこちらの説のほうが有力と言えそうです。