リズム芸、コント、音ネタなどお笑いの形態は様々なものが存在しておりますが、やはりお笑いの正統派として人気が高いのが「漫才」でしょう。

 

 

会話に重きを置いて笑わせるという漫才の掛け合いというものは、日常会話においてもどうすれば面白いやり取りになるのか、ということのヒントも隠されていたりしてお笑い芸人ではない一般人にとっても参考になるところがあったりします。

 

 

個人的には漫才というもの、ひいては日本のお笑い芸というものは世界水準で見てもトップになるのではないか、と思っています。やはり、日本語という、難しいながらも「微妙なニュアンスを伝える」ことに適した言語を使用しているからこそ、細かい可笑しさを生むことができているのだと思います。

 

海外のお笑いというのは、表情やリアクションなどをオーバーにすることで笑いをとることが多く、漫才のように言葉で笑わせることは少ないように思えます。

 

日本の文化として世界に知られているものはアニメや漫画などが取り上げられがちですが、漫才というものも日本が海外に誇るべき文化だと思いますね。ただ、言語の違いで理解されることは少ないでしょうが・・・・

 

そんな日本が誇るべき「漫才」というものは、いったいどのような由来があってどのような歴史をたどってきたのでしょうか?

 

ということで漫才の歴史・由来・語源などをお伝えしていきたいと思います。

 

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漫才の語源は「万歳」という平安時代の芸能にあります。

 

これは、宮中や神社で新年にめでたい言葉を歌唱して歌舞を披露する「千秋万歳(せんずまんざい)」を略したものです。

 

これがいつしか、二人一組で家々を周って祝言を述べるという形になり、さらには祝言を述べた後に1人が鼓・1人が滑稽な舞を舞うというものに変化していきました。中には、歌舞伎のパロディーや小噺、謎掛けを行うというものもあったようですね。

 

 

ただ、この時点では片方がボケ、片方がツッコミというような現在の漫才のような役割ではなく、片方が扇を持って舞い、もう片方は鼓を打つというスタイルでした。現代でいうとオリエンタルラジオの「武勇伝」のようなものに近いでしょうか。

 

大正中期には関西でこれを舞台上で演じるなどして人気を博し、娯楽・大衆芸能としての道を歩み始め、また徐々にお笑い要素が色濃くなっていき、そちらがメインになっていきます。

 

そして現在の漫才のような「ボケ」と「ツッコミ」に分かれて二人で掛け合いをするという形にしたのは昭和のはじめ、「横山エンタツ・花菱アチャコ」のコンビです。

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この二人の掛け合いは三味線も扇も持たず、芝居もせず、日常的なことを題材にして自然体の会話で笑わせるという「しゃべくり漫才」の礎を築きました。そして、この掛け合いは大正に起こった「漫談」にちなんで、かの吉本興業により「漫才」という表記にされました。

 

 

「横山エンタツ・花菱アチャコ」のコンビは4年という短いものでしたが、彼らは全国区で爆発的な人気を獲得しました。しゃべくり漫才という形式は当時、放送が始まったばかりのラジオというメディアにも相性が良かったのでしょう。

 

昨今では単なるしゃべくり漫才というよりは、最初に少し掛け合いをしてからコントのようなシチュエーションに入るような、いわゆる「コント漫才」というものが多くありますね。

「コンビニの店員ってあこがれるんだよね~。俺店員やるからお前客やってよ」というようなやつですね。アンタッチャブルやトータルテンボスなどが多くやっています。

 

こういったコント漫才は、漫才の本来の起源から言うと「邪道」ということになるのでしょうか。コントというのは漫才とは起源を異にするお笑いで、コントの起源は海外の「寸劇」からくるもので、漫才は日本オリジナルのものですからね。

 

ただ、お笑いというのは「面白ければ何でもいい」という不文律が存在します。

 

歌舞伎や落語などの伝統芸能は、見る側の造詣の深さよりも、襲名だとか世襲だとか、演者側の内輪の上下関係や慣習・しきたりなどがまず来るもので、見る側の意見としては正直どうでもいいというか面倒くさいことも多いですが、こと漫才については「面白ければ何でもいい」という、実力主義が強いですよね。

 

演者の生まれも育ちも関係なく、とにかく面白ければいいわけです。そんなストレートさが漫才という演芸の魅力の一つと言えるでしょう。なので、しゃべくり漫才だろうとコント漫才だろうと、とにかく面白ければなんでもいいのです。

 

そもそも王道とか邪道とか言い出すなら、「漫才」自体が「万歳」が形を変えた、いわゆる邪道ということになってしまいますからね。そういった時代や文化の変遷に柔軟に対応してきたものが現在の漫才という文化なわけです。特に今では、テレビなどのメディアへの露出を増やすためにはただのしゃべくり漫才ではなく、わかりやすいキャラクターが求められますからね。

 

そういった、柔軟性に富むのがお笑い、漫才というジャンルなのですが、それだけに歌舞伎などの伝統芸能の継承者からは格下に見られるということもあるみたいです。カジュアルすぎるが故の弊害といったところでしょうか。