了解した時に言う「かしこまりました」という言葉は、おそらく「正しい敬語」として通常の社会人であれば新人研修などでマナー講師から教わってきていると思います。

かしこまりました

 

 

単純に「わかりました」と言うよりもかなり丁寧な印象です。考えてみれば受付など直接客の窓口に立つような職種の人であればすべからく、この「かしこまりました」を使っていますよね。

 

 

ところで、この「かしこまりました」って具体的にどういう意味なのでしょうか?

 

文法上でいえば「かしこまる」という動詞の完了形が「かしこまりました」になります。じゃあそもそも「かしこまる」とは一体何なのでしょうか?

 

「かしこまる」という言葉を使うのは「かしこまりました」以外なら「かしこまった言い方をするなら・・・」という表現くらいです。この場合は「堅苦しい言い方をすると」といったニュアンスですよね。「かしこまりました」の意味を紐解くには至らないと思います。

 

ということでこちらでは「かしこまる」「かしこまりました」の意味や似たような言葉である「承知しました」との違いについてお伝えしていきたいと思います。

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かしこまるの意味とは

「かしこまる」と音が似ている「かしこい」という言葉がありますが、実は元をたどると「かしこまる」も「かしこい」も同じ言葉を由来にしています。

 

「かしこい」というのは現在では「利口だ」とか「頭が良い」というような意味で使われていますが、かしこいの語源となった元々の「かしこ」という言葉は自然に宿る精霊の脅威に対して恐ろしいという畏怖の念を表す言葉でした。

 

そこから転じて「かしこまる」という言葉は「恐縮する」だとか「おそれ敬う」という意味を持つ動詞になっていきました。

 

これは「かしこまる」を漢字で表すと「畏まる」というふうに書くことからもわかります。

 

冒頭で申し上げた「かしこまった言い方」という表現も、この恐れ敬って恐縮する様から「堅苦しくて窮屈な」様子を表すようになったのです。

 

例えば「陛下の御前にかしこまる」というような表現をしますが、これは身分の高い人物や目上の人物に対して恐れ敬う気持ちを表して慎んだ態度を取る、という意味で使います。

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「かしこまりました」の意味と「承知しました」との違い

表題にもあるような何か命令や依頼などを受けて了承した際に言う「かしこまりました」というのは、そういった目上の人物からの命令・依頼に対して謹んで執り行いましょう、という恐縮しながらの了承の意を含んだ言葉なのです。

 

これには「未熟ながら精一杯務めさせていただきます」という自らをへりくだる意味も込められているのでしょう。

 

これに対して「承知いたしました」という言葉の場合は、「いたしました」というのが謙譲語になっていてへりくだった表現ではあるものの「かしこまりました」ほど恐縮する意味は込められておりません。単に「承知した」から「承知いたしました」なのです。

 

基本的には似たような意味で使って良い「かしこまりました」と「承知いたしました」の言葉ですが、その言葉の重みは「かしこまりました」のほうが強く、「承知いたしました」のほうがよりフランクな表現になります。

 

接客業で「お客様」に対して使う言葉は「かしこまりました」の方がより敬意が強い言葉になるでしょうね。ただ日常用語として上司に何でもかんでも「かしこまりました」と言っていると、その言葉の重みがなくなるような気もします。

 

ちなみに、「かしこまりました」「承知しました」とほとんど同じ意味で使われる「了解しました」という言葉は、一般的には目上の人物に使うと失礼にあたる言葉なので使わないように、という風に言われています。

 

これは、「了解」という言葉は本来、権限を持つ者が許可を与えるというような意味を持ち、また尊敬や謙譲の意味は込められていないためだそうです。

 

結局は受け手がどう感じるかというのが言葉の本質です。「了解しました」が失礼にあたるという風潮が一般に広がっている中でたとえそのような意図がなくても使われることで「失礼な人だな」と思う人が一定数いるということです。

 

言葉というのは多数決なところもありますから、これが一般に広がっているうちは目上の人物に対して「了解しました」は使わずに「承知しました」か「かしこまりました」を使うのが無難です。

 

そういう意味では、「かしこまりました」でも「承知いたしました」でも、おそらく大抵の人は丁寧な言葉遣いという印象を受けるでしょうからどちらを使っても大した問題ではないということになりますけどね。

 

さらに言えば「了承しました」なんて表現もありますね。これは「それでいいですよ」だとか「聞いてあげるよ」というニュアンスを含むために目上の人物に対して使うのはご法度だそうな。

 

英語だったら全部OK!で済むこの日本語という言葉は難しいものですね。その難しさこそが日本語を美しい言語たらしめる要素なのかもしれませんが。