食事をする前の挨拶「いただきます」といえば、日本人であれば誰でもご存知でしょう。

いただきます

 

 

しかし今となっては、生真面目に「いただきます」を言うことに気恥ずかしさを覚える人のほうが多いです。この辺りは小さい頃から「食事をする前にちゃんと手を合わせていただきますと言いなさい」と言われて育っているとか、日常的に子供と接するような職業の人であればごく自然のこととして出来るのでしょう。

 

私たちは幼少の頃から食事の前に「いただきます」を言うことを半ば強制されてきました。ひねくれ者の私は子供ながらに「なぜ”いただきます”を言わなくてはいけないのか」という疑問を常に抱いており、ついにその答えは出ないまま大人になりました。

 

人間というのは強制をされると途端に嫌気が差すものです。とはいえ無力な子供は大人に抗うことはできず従うしかありません。そんな風に強制されて嫌気が指したという一種のトラウマが、私たちに「いただきます」を生真面目に言うことに対して暗く影を落としているのでしょう。

 

単に「それを言わないと食べられない」という閉塞感が嫌だったのかもしれませんが。

 

大人になっていけば自由な時間が増え、食事も一人でする機会が多くなります。「いただきます」を強制されることもありません。言わずに勝手に食べても誰にも文句を言われません。「いただだきます」を言わなくなるのが自然でしょう。何より一人で「いただきます」を言うことが恥ずかしいですよね。

 

しかし大人になってみて、この「いただきます」という挨拶は一体どのような意味や由来を持って習慣として根付いたのだろうとふと疑問に思ったのです。

 

何事にも始まりというものがあります。私たちにとっての「いただきます」は親もしくは教師に強制されるという最悪の始まりでしたが、さらにその前にさかのぼっていけば本当の意味が分かるような気がしませんか。

 

その起源をたどり、本当の意味を知ることで子供のころからずっとくすぶり続けてきた「いただきます」と真剣に向かい合うことになるのではないでしょうか。

 

というわけで、こちらでは食事の際の挨拶「いただきます」の本当の意味や由来などについてお伝えしていきたいと思います。

 

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いただきますの意味とは

「いただきます」を文法上で解釈するならば、当然のことですが頂く(戴く)という言葉を丁寧に言った言葉という風になります。

 

「頂く」というのは「もらう」「食べる」「飲む」といった言葉の謙譲語です。

 

頂(いただき)という言葉はてっぺんを意味しますが、ここからもわかるように元来「頂く」という言葉は何かを頭上に載せる動作を表しておりました。それがいつしか、目上の人物から物を授かる際にそれを高く掲げて感謝し受け取ったことから「もらう」という意味の謙譲語に転じていったのです。

 

謙譲語というのは自らをへりくだって相手を敬う表現です。これは「あなたの命を頂いております」という風に食材への感謝と懺悔、あるいはその料理を作ってくれた関係者に対して敬意を表した言葉になっているのです。

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この「いただきます」という挨拶は、実は昭和のころから始まった比較的新しい習慣で戦中から始まりました。昭和7年に給食を開始した島根県松江市立白潟小学校において「箸とらば、天地御代の御恵み、親や師匠の恩を味へいただきます」と唱和させていたそうです。

 

実際、両親が大正以前の生まれだという方は幼少のころにこのように躾をされた覚えがないという方もいらっしゃいます。

 

伝統が長ければ正しい、短ければダメということではありませんが、今まで散々強制されてきた「いただきます」という挨拶はそれほど格調高いわけではなさそうです。

 

いただきますを英語で言うと?

 

「いただきます」を英語で言うとどのような表現になるのか?ということで気になる人もいらっしゃるようですが、「いただきます」という挨拶は日本独自のもので、海外にはこういった習慣はありません。日本独自の文化で良いとするか海外から孤立している時代遅れの国とするかという個人の捉え方でしょうね。

 

しいて言うならThat looks delicious!(美味しそう!)やLet’s eat!(食べましょう!)と言うのが「いただきます」の代わりになるでしょうか。

 

「いただきます」の強制について

個人的な所感を言えば、「作ってくれた人への感謝」というのはわかります。ただ「命をくださった動物達に感謝」という大義名分は結構なことですが、それを言葉として出すことを強いるのはいかがなものかと思います。

 

 

本来、感謝の言葉というのは他人に強制されて無理やり言うのではなく、本当に感謝を感じたときに内側から自然に出るものです。

 

「何かしてもらったら人にお礼を言いましょう」というのは人間関係の潤滑油になるというのはわかりますが、その理屈で言うと作った人に直接「作ってくれてありがとう」と言うほうがずっとわかりやすいです。言葉の本懐というのは伝えることにあります。人に感謝を伝えるなら「いただきます」は少々回りくどい表現ではないでしょうか。

 

動物に感謝するという倫理観を育てたいならば、それは別途学校の授業の「道徳の時間」なりにやればいいことです。

 

「動物の命をもらってるんだな、大切に食べなくては」という気持ちがあればそれはあえて言葉に出す必要はないのではないでしょうか。

 

例えば「毎日必ず母なる大地『地球』に感謝の言葉を言いましょう」と強制をされたらどう感じるでしょうか。これに賛同するも、胡散臭い宗教だなと感じるのも個人の思想の自由です。しかしこれを胡散臭いと思う人が強制されればかなりの苦痛を伴うでしょう。大げさなことを言えば「いただきます」強制はこれに近いと思います。

 

もっとドライなことを言えば、感謝の言葉を出そうが黙って食べようが動物にとってはどちらも同じことです。結局は人間のエゴで食べるわけですからね。むしろ「いただきます」を言うことで許されるのだ、と免罪符にしている薄ら寒さすら感じます。

 

 

ということで、「いただきます」の意味を考えていくと私とはそりが合わない存在だということがわかりました。今後も「いただきます」を言うことはないでしょうが、心静かに動物への哀悼の意を捧げていこうと思います。

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