山本圭一さんが吉本興業に復帰し、お笑いコンビ「極楽とんぼ」が再結成するというニュースが入ってきました。

極楽とんぼ

 

山本圭一さんは2006年7月に、かの「淫行事件」を起こして吉本興業を解雇され(事件自体は不起訴となりましたが)それから節目の10年目での吉本興業復帰となるわけですね。

 

やはり10年という月日は節目としてちょうどいいものがありますね。例えば9年と10年では、たった1年しか違わないにもかかわらずその年月の重さはやはりかなり違うものがあります。

 

 

2016年の7月にかつて出演してた「めちゃイケ」に復帰できたのも、ちょうど節目の10年という区切りがあったからでしょうね。そしてコンビ復帰となると、元々このめちゃイケも吉本興業をクビになったことで出演がなくなってしまったのですからそれに伴ってめちゃイケも復帰か?というのは気になるところ。

 

私自身も、かつてのめちゃイケはよく見ていたので山本圭一さんの吉本興業復帰については世間では賛否両論あるでしょうが、素直に応援したいと思います。もちろん、世間からの需要がなければ再び台頭することはないだろう、単純な話ですけどね。

 

さて、10年の月日を経て再結成となった極楽とんぼですが、このコンビ名にはどのような由来があり、どんな意味が込められているのでしょうか?改めて気になったので調べていきたいと思います。

 

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極楽とんぼのコンビの由来・歴史・意味とは

極楽とんぼというコンビの歴史をたどっていくと、いわゆる普通の「吉本芸人」とは異なる、異色のコンビであることがわかります。

 

吉本芸人というのは、テレビなどでも良く言っていますがNSC(吉本総合芸能学院)という養成所に通ってからお笑い芸人としてデビューするというのが今の主流になっていますよね。

 

こうした「学校」という明確な線引きがあるために先輩・後輩の関係も分かりやすく、それ故に同期がどうたら、後輩のくせに、先輩なのに、と吉本の内輪ネタがテレビを賑わせている要因にもなっています。

 

極楽とんぼの加藤浩次、山本圭一両名が出会ったのは佐藤B作が主催する「劇団東京ヴォードヴィルショー」の研究所「闘魂塾」にて、互いに第4期生として入団したのが始まりです。これが1989年2月のことです。

 

元々は、極楽とんぼの両名はお笑い芸人志望というわけでもなかったようです。加藤浩次さんの方はとにかくざっくりと「有名になりたい」というものはあったようですが、小さい頃の卒業文集(小学生?)には「プロデューサーになりたい」と書いたり、さらには高校生の時にも進路希望で「芸能人になりたい」と言って先生に怒られたなど、ふわふわして定まっていないのが分かります。

 

山本圭一さんのほうも、広島平和記念公園前でブレイクダンスをして注目を集めるなど、どちらかというと二枚目路線を目指していたようです。

 

とにかくそこで出会った二人は、コンビを組むことになります。なぜコンビを組んだのかというと、山本圭一さんは広島出身ということでカープファンであることは割と知られていることですが、自身の名前と加藤浩次さんの本名「浩二」を合わせると元カープ選手である「山本浩二」になることから運命を感じたのだとか。

 

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そして、ある日山本圭一さんの方から「お笑いをやりたい」という風に言われたので、それに伴ってお笑いのコンビ名を決めなくてはならなくなったというのがきっかけのようです。

 

当時は山本圭一さんのほうが年上ということで「山さん」と呼び意見を尊重したようですね。

 

そんな山本圭一さんが考案したコンビ名が「なまけものブラザーズ」というものでした。

 

年長者であることをたてて、表面上は賛同したもの加藤浩次さんのほうは「絶対にない」と思ったそうです。なので「もう少し考えましょう」とお茶を濁したそうです。

 

そこで改めて加藤浩次さんのほうから考案したのが「極楽とんぼ」というコンビ名でした。当時はカタカナのコンビ名が多かったので漢字とひらがなが混じったコンビがいいと思ったのだとか。

 

しかしそれをそのまま提案しても却下されると思ったために「山さん、松田優作好きじゃないですか。実は松田優作の墓の裏に『極楽とんぼ』って書いてあるんですよ」という風に嘘をついて、結果それを了承した山本圭一さんは以後12年もの間、その嘘に気づかずに周りに吹聴していたそうです。

 

極楽とんぼというと、ネタ作りを加藤浩次さんが行っていて「頭脳」の役割を果たしている印象がありますが、それを象徴するようなエピソードですよね。あらかじめその理由を考えておくというのも加藤浩次さんの策士ぶりがうかがえます。

 

ちなみに「極楽とんぼ」そのものの意味は、のんきに生活している者を「まるで極楽を飛ぶトンボのようだ」という風に揶揄したもので、実は「のんきものブラザーズ」とも少し意味が通じるところがありますので、年長者である山本圭一さんの意思を尊重しつつ、自分の好きな名前にするという加藤浩次さんの巧みさがよくわかります。

とんぼ

 

それにしても、極楽とんぼが事実上解散してしまった後も加藤浩次さんは山本圭一さんのことを「あの野郎」「あの豚」と揶揄してエピソードを話していましたが、山さんからいつ呼び方が変わったのだろう、というのも気になる話ですね。

 

そして闘魂塾の月謝の滞納が続いて苦しくなってきたところに、吉本興業が東京で新規の芸人を募集しているという雑誌の広告に目がついて吉本興業入りを果たしました。そのため、養成所通いではなく直接吉本に入ったということなんですね。なので、同時期デビューの芸人とどちらが先輩後輩かわからないというのがあるようで、千原ジュニアさんと敬語を使うか使わないかで揉めたそうな。

 

吉本興業としては、会社に所属してからが極楽とんぼの始まりというのが正式なものになるでしょうが、実際にはそれより前に極楽とんぼは結成されていた、というのが正しいでしょうね。

 

極楽とんぼの同期芸人は誰?

さて、極楽とんぼと芸歴が同期の芸人というのはどれほどいるでしょうか?

 

NSCというのは4月に入学し、その4月をもってコンビ結成という風に勘定しているのが吉本芸人のようです。この意味で言うなら、極楽とんぼは89年2月に結成していますから89年4月にコンビを結成したのが同期芸人と言えるでしょう。

 

これは大阪NSC8期生(東京NSCは当時まだなく、1995年から)である千原兄弟、FUJIWARA、バッファロー吾郎、なだぎ武、大山英雄(元マニアック)、白川悟実(テンダラー)などが同期に当たるようです。

 

しかし4月~3月を一年と考える「年度」で見るなら、その1個上である88年4月にコンビを結成した大阪NSC7期生の雨上がり決死隊、矢部美幸(ナインティナイン・矢部浩之の実兄)などがそうなのですが、雨上がり決死隊に関しては極楽とんぼの本人たちが敬語で接しているようなのでこれは先輩という風になります。

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