8月15日は終戦記念日です。

 

「記念日」という言葉はあまり
似つかわしくなく、実際にこの日の
正式な名称は
戦没者を追悼し平和を祈念する日
です。

 

そしてこの8月15日のすぐ前の
8月6日、8月9日にそれぞれ
広島、長崎にアメリカ軍によって
原爆が投下されました。

 

よくこの広島・長崎への原爆投下は
「日本が降伏をしなかったから」
「戦争を終わらせるために仕方なく」
などと言われますね。

 

しかし原爆での犠牲者数は広島と
長崎で数十万人以上もの数に上り
しかもそれが軍人ではない
一般市民の犠牲です。

 

果たして、平和のため、戦争を終らせる
ためというアメリカの方便のように聞こえる
原爆投下の理由は真実なのでしょうか?

何か他の理由があるのではないかと
思い調べてみることにしました。

 

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1938年にドイツで原子が核分裂
する際に大量のエネルギーを放出
すること、つまり原子力の発見が
されると、これが軍事利用すること
となりアメリカも原爆の研究を1939年
に開始します。

 

1942年8月にはアメリカで原爆製造計画
が始まり、3年の歳月と20億ドルの予算を
かけて1945年7月16日に世界初の
原爆実験を成功させました。

 

なんと、広島・長崎に原爆が投下される
ほんの数週間ほど前の出来事だったの
です。

 

7月16日に原爆の実験が成功し
7月25日にポツダム宣言、日本が
それを拒否し、わずか10日ほど経った
8月6日に広島、8月9日に長崎への
原爆投下という流れとなります。

 

あまりにもスケジュールがタイト
過ぎますね。

 

これはまさに、ポツダム宣言を日本が
拒否したことが理由などではなく、
原爆が投下されることがあらかじめ
決まっていたことを裏付けているのです。

 

日本が第二次世界大戦に
参入した詳しい経緯などは
こちらで紹介しております
ミッドウェー海戦の敗北を
皮切りにして日本の劣勢が
続いておりました。

 

日本の敗戦は濃厚で、これは
アメリカも把握しており、戦争を
集結させるために原爆を落とした
のではなく別の理由がありました。

 

日本が遅かれ早かれ降伏し、
戦争が終結した後に今度はソ連と
対立することは明白でした。

 

アメリカはなんとしても原爆の威力を
見せつけてソ連を牽制し、有利な立場
に立ちたいという思惑がありました。

 

そのためには都市の大きさ、地形など
原爆投下による「実験」が適切に行うこと
ができる場所を選ぶ必要があったのです。

 

まあ考えてみれば当たり前の話で
もし本当に降伏させるために
原爆を落とすというのならば
無人島にでも落とせば十分牽制に
なったはずです。

 

わざわざ一般市民のいる日本本土に
落としたのは、その破壊力を測る
ための「人体実験」でしかありません。

 

なぜ広島と長崎に落とされたのか

では、「人体実験」の地として
広島と長崎が選ばれたのはなぜか?

 

1945年4月の時点で原爆投下地点は

東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、
京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、
熊本、福岡、長崎、佐世保

などの17地域が選出され、
5月には京都、広島、横浜、小倉
の4都市を選定しました。

 

これらの都市は規模も大きく
爆風によって効果的に破壊する
ことができるとして実験に適して
いたのです。

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中でも京都は人口100万人以上の
大都市であることや日本の古都で
あるころから当初は原爆投下の
第一候補とされておりました。

 

しかし、数多くの重要な文化財がある
京都を破壊したとあっては日本国民
の強い反感を買うため、戦後の日本統治
の足枷になるとして候補から外れました。

 

横浜市も候補から外れたのですが
これは理由がいまいち明らかになって
いませんね。

 

そして新たに小倉市、広島市、新潟市
の三都市が原爆投下の目標に
なりました。

 

京都市に関しては、候補から外れた後も
再びまた候補になったりと二転三転する
のですが、これが最終的には候補から
外れ、新たに長崎を加え
広島、小倉、新潟、長崎の4都市のいずれか
に原爆が投下されることが決まりました。

 

これが1945年7月24日のことです。

 

その中でも、広島は当初から最終決定
を下すまで候補としては上位であり続けました。

 

それは、実験に適した規模の都市であること
に加え、軍隊、軍事施設、軍需工場が集中
しており、攻撃する軍事的な価値があったこと、
さらに唯一、連合国軍の捕虜収容所がない
と思われていたからです。

 

その他にも「大規模な空襲を受けていないから」
という理由も挙げられておりますが、そうではなく
「原爆の威力を確認する」ために、あえて
空襲をしないで温存しておいたという方が
正しいでしょう。

 

1945年8月2日には、8月6日に原爆を
投下することが最終決定されるのですが
第一目標は広島、第二目標は小倉、
そして長崎は第三目標でした。

 

8月6日に広島に原爆が投下された
後も、また8月9日になっても長崎ではなく
小倉が次の目標でした。

 

当時の小倉は長崎よりも人口が多く
平野部も広がっていて爆風の遮断物が
なく実験に適していました。

 

実際に、小倉に戦闘機が原爆を落とすために
飛来しました。

 

しかし陸軍の守備隊が、果敢に高射砲で
応戦し、煙幕によって視界が悪くなり
原爆投下の目標地点にたどり着くことが
困難になりました。

 

そのため、やむを得ず第三目標であった
長崎に原爆投下地点を変更したのです。

 

なぜ2回落とす必要があったのか

原爆の投下は人体実験のためで
あったことはもはや明白です。

 

もし戦争を終わらせるためという
理由なら1回落とせば十分なはずです。
(そもそも一般都市に落とす必要はないが)

 

2回落とさなければならなかった理由、
それは広島に落とされた原爆と
長崎に落とされた原爆が種類の
違うものだったことに起因します。

 

広島に落とされたのはウラン型の原爆
長崎に落とされたのはプルトニウム型の原爆

 

というのは聞いたことがあると思います。

 

ウラン型はドイツのナチスが開発していた
それほど爆発に技術が必要ないもので
プルトニウム型は前述の実験で成功した
アメリカ製の原爆です。

 

ウラン型はともかく、多額の予算を
つぎ込んで開発したプルトニウム型
は実戦でなんとしても威力を計測し
比較したいという思惑があったのです。

 

 

以上が、広島と長崎に落とされた原爆の
調査になります。

 

知れば知るほど、アメリカの非情さが
浮き彫りになる話でしたが、こんな悲惨な
歴史でも1つ学ぶことがあると思います。

 

それは、小倉が抵抗して原爆投下から
免れたという話です。

 

自衛の術を持つことが重要だということ
を改めて気付かされますね。