皆さんは、道端でバッタリ知り合いに会った時にはどのような対応をしますでしょうか。

 

 

もちろん、近しい友人などであれば声をかけて話し込むなりするでしょうが、バッタリ会う人というのは必ずしもそうではなく、嫌いな人だったり苦手な人だったり、あるいはそこまで嫌いではなくともあまり知らない、あまり話したことがない、という微妙な知り合いだということも少なからずあるはずですね。

 

 

知らないふりをして遠回りをして顔を合わせないようにするということが出来れば良いですが、すでにお互いが存在を認識していたり狭い道で会ってしまったりするとそうもいきません。

 

 

そんな時に役に立つのが「会釈」というものです。

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挨拶として言葉を発するとその後も何か話を続けなくてはいけませんが、「会釈」は言葉を発しないためその必要もありません。それでいて相手の存在をないがしろにするわけでもないという、絶妙な人間関係の潤滑油となってくれる存在ですね。「無視以上、挨拶未満」といったところでしょうか。

 

 

無難にやり過ごすには非常に役に立つ「会釈」ですが、そもそもこの言葉の意味というのはどういうものなのでしょうか?その漢字からはちょっと意味は読み取れそうにありませんが・・・

 

こちらでは「会釈」についての本当の意味・語源・由来などをお伝えするとともに一般的に正しいとされている「会釈」のマナーについてお伝えしていきたいと思います。

 

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会釈の意味・由来とは

会釈というのは元々は仏教用語の「和会通釈」からきています。

 

和会通釈というのは一見矛盾する教義同士を照合してその間に通ずる意味を見出して解釈するという、実に奥の深い行為のことを指します。

 

お互いを深く知ることなく無難にやり過ごそうとする現代の「会釈」からはちょっと想像もつかないような内容のものですね。

 

ここから転じて、中世の頃には「様々な状況を考えて考慮する」という臨機応変さを表す言葉になっていき、さらには「相手に取り入る」「とりなす」「打ち解けて愛想よく挨拶すること」という意味になっていきます。

 

『沙石集』などには「あまりに会釈しすぎたり」という表現が出てきますが、これは「あまりにも適宜に解釈しすぎたり」という意味で使われています。もう少しわかりやすく言うなら「柔軟に考えすぎたり」ということですね。言葉を選ばずに言うなら「都合のいいように考える」ということです。

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しかし、そのように本来の意味から逸脱した自由な思考をしてしまったのも「相手の立場を配慮しすぎたから」のが理由なわけで、「相手に取り入る」「打ち解けて愛想よく挨拶する」とはそこまでかけ離れているわけではありません。

 

 

これが現代のように「軽くお辞儀すること」という意味で用いられるのは江戸時代になってからです。

 

 

実はお辞儀という言葉は本来は時宜(じぎ)という「ちょうどいい時間・頃合い」を意味するものでした。それが時代とともに「状況に対する考えや気持ち」「状況を見極めて対処すること」という意味に転じ、さらにそこから「他人への配慮や心配」という意味になり今のような頭を下げる挨拶になったのです。

 

この「状況の見極め」から「他人への配慮」へと発展したという経緯が「会釈」と全く同じですよね。

 

そして「お辞儀」が頭を下げる挨拶に限定されるのが江戸時代のことからの話なので、「会釈」もそれに伴って意味が変化していったのです。

 

そして現代では「軽くお辞儀すること」が「会釈」になっています。

 

 

まあ、「会釈」をするくらいの間柄の人であれば自分もそうですが相手もおそらく「あまり長く話はしたくない」と思っていることでしょう。そういった相手の心情を鑑みて軽くお辞儀で済ませるというのはある意味、相手のことを配慮しているとも言えます。

 

と、このように解釈すれば「会釈」の本来の意味に適っていると言えなくもないですね。

 

会釈とお辞儀の違いとは

 

現代では「会釈」と「お辞儀」は似たような意味として使われておりますが、厳密に言うと「会釈」はいくつか種類がある「お辞儀」の中の一つです。

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お辞儀にはその角度によって意味が異なり、「会釈」「敬礼」「最敬礼」の三段階に分かれます。「会釈」はそのうち最も角度が低い、カジュアルなものになります。

 

 

そして、正しい「会釈」というのは角度が15度になる形が目安になるそうです。

 

 

とはいえ「会釈」で済ませるような相手ですから、まだそこまでは深い関係を築いていないということですし相手も細かい角度のことなどそれほど気にしていないことでしょう。